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东方外来韦编/参/幻想之源③

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  • 该内容于杂志中页数:044-045
  • 翻译:hyzdjx

幻想之源③

Fragment of Phantasy


天狗も鬼と並ぶ超メジャーな妖怪だが鬼の一種とみられていたこともある。
山や修験道といったキーワードをもとにその成り立ちに想いを馳せてみよう。
天狗是和鬼并列的非常著名的妖怪但有时也被认为是鬼的一种。
让我们以山和修验道这样的关键词为前提来畅想这个观点的由来吧。
普通の人間から見れば鬼同様に恐ろしい存在である天狗ですが、ともすれば人間よりも高い知能を持ち、時には人間を助けてくれたりもする気高い存在とも考えられてきました。その誕生には意外と複雑な背景がありますので、ここでその一端を紹介したいと思います。
以普通人类的角度来看天狗是和鬼一样的恐怖的存在,但也被认为是往往持有比人更高的智能,有时也会帮助人类的崇高的存在。它的诞生有着意外和复杂的背景,这里想介绍其中的一部分。
山に棲む鬼と天狗
在山里栖息的鬼和天狗
天狗は妖怪の一種とされていますが、ちょっと他の妖怪たちとは違った存在感があります。外見的イメージが人間に近いということもありますが、身近で実際にいてもおかしくないと思わせるリアリティみたいなものが感じられる雰囲気があります。
天狗是妖怪的一种,但稍微和其他的妖怪们的存在感有所不同。外表的印象和人类相近,实际在身旁时又不会让人感到奇怪,有着能让人感受到这种真实感的氛围。
妖怪の類いを分類する上で、天狗は鬼の一種とされることがあって、よく似た特徴も見られます。山に棲み、人を攫ったりする恐ろしい存在で、赤い肌や異形の顔つきから人々の恐怖の対象とされてきました。「鬼」の解説の中でも書きましたが、もともと鬼には目に見えない存在だったり特定の外見に限らないといった特性がありました。そういう意味では、天狗は確かに鬼の一種に含めてもおかしくありません。実際に山間に根城を置いた山賊たちが鬼や天狗と呼ばれていたのかもしれませんし、人の世に起こった非道な事件を鬼や天狗といった非日常の存在のせいにしたという向きもあったものと思われます。
在妖怪的类别中进行分类的话,天狗有时被认为是鬼的一种,两者有非常相似的特征。都是在山里住、拐走人类的令人恐惧的存在,并且有着红色的皮肤和异形的相貌,因而被人们视为恐怖的对象。对「鬼」的解说有记载,原本鬼就是目不可见的东西因为没有一定的外貌。在这种意义上,天狗被认为是鬼的一种的说法也的确不奇怪。实际上在山沟里建立根据地的山贼们有可能被认为是鬼或天狗,并且人们也习惯于把人世间发生的惨无人道的事情归罪于鬼和天狗这种非日常的存在。
現代にも受け継がれている、長い鼻を持つ高鼻天狗や、カラスのようなクチバシを持った鴉天狗は平安時代からその存在が語られるようになりました。大江山の鬼たちが暴れまわっていた時代で、京の都にも百鬼夜行が現れたくらいですから、当時の山はそれはもう魔物たちの巣窟と考えられていました。しかし一方で、当時の山にはいわゆる「修験道」の修行者である「山伏」たちが数多く入っていました。中国から新しい仏教が入ってきて、最澄が比叡山、空海が高野山に修行場を設けるなど霊山とされる山での修行は大きなブームとなっていた背景があります。天狗の多くは僧服ないしは山伏と呼ばれる修験者を思わせる恰好をしているわけですから、そうした修行者たちが天狗のモデルとなったことは間違いないでしょう。
有着长鼻的鼻高天狗和有着乌鸦喙的鸦天狗的这种说法从平安时代就开始存在,一直流传至今。由于那是大江山的鬼们到处暴动的时代,并且京都也出现了百鬼夜行,当时的山已经被认为是魔物们的巢穴。但是另一方面,当时的山里涌入了大量被称为「山伏」的「修验道」修行者。那时正从中国新传入了佛教,最澄在比睿山、空海在高野山分别建立了修行场,在当时有一股这种在被当作灵山的山里修行的热潮。大多数天狗穿着僧服或者是被叫做山伏的修验者的衣服,所以前面说的修行者们毫无疑问是天狗的原型。
役行者と修験道
役行者和修验道
修験道という言葉は、特定の宗教や宗派を指すものではありません。それが何か、というのは宗教に疎いと言われることの多い現代の日本人には意外と難しいことかもしれません。漠然と「仏教ではないか」と考えがちで、実際仏教系の修行者であることも多いのですが、それだけではないのです。修験道は仏教と密教と共通した修法を用いますが、その考え方には神道や陰陽道、中国の道教の要素も溶け込んでいて、根本的なところには宗教の原初的な姿とも言えるアニミズムやシャーマニズムがあります。日本に仏教が伝わる前、さらに言えば神話上「天孫降臨」とされている「天津神」がやってきて天照大神を中心とした「神道」が始まる前からあったいわゆる「山岳信仰」の伝統を仏教・密教ベースで受け継いだものを修験道と定義することができます。
修验道这个词,不是指特定的宗教或者宗派。具体是什么,对于对宗教生疏的多数现代日本人来说可能意外地难懂。容易被笼统地想成「不是佛教吗」,实际上尽管佛教系的修行者很多,但不限于佛教。修验道使用佛教与密教共通的修法,但思想融入了神道、阴阳道以及中国的道教的要素,核心则是堪称宗教雏形的泛灵论和萨满教。在佛教传来日本前,更具体说就是神话上叫做「天孙降临」的「天津神」到来并以天照大神为中心的「神道」诞生之前就已经有了的种种「山岳信仰」的传统在继承了佛教、密教之后才是修验道的定义。
現代ではなかなかその言葉を耳にする機会もありませんが、山岳信仰は先史時代から日本人にとってとても身近な信仰でした。宗教という体になる以前の、日本人ひとりひとりの身の内にある自然な感情が元になっていて、山や巨木、あるいは巨石といった自然の造形を美しいと思う以上に神々しく感じる気持ちが山岳信仰の出発点です。富士山の例を挙げるまでもなく、山に対し敬意や畏怖の念を抱くことは珍しいことではありませんし、それがアニミズムに繋がり、信仰へと発展することは日本に限らず世界各地に見ることができます。モーセが神に十戒を授かるシナイ山、インド神話と仏教思想で宇宙の中心に立つメール山(須弥山)、歴代の皇帝たちが即位するために封禅の儀を行ってきた中国の泰山(をはじめとする五岳)と、まさに枚挙にいとまがありません。中でも日本人は山に畏敬の念を抱き、それ自体を神として崇めてきた長い歴史があります。山中や麓にあるような神社の類いは、多くがもともとは山そのものを神として祀ったものでした。「天孫降臨」以降ほとんどが祭神を変えていくことになりましたが、山に籠って修行する山伏たちには古い形を残した信仰が受け継がれていったわけです。
现在很少有机会听到这个词了,但是山岳信仰从史前时代开始就是对日本人而言非常切身的信仰。在宗教形成之前,日本人以各自身体内的某种自然的感情为源头,将山、巨木和巨石之类这种自然的造型作为美然后对其怀有的神圣感情就是山岳信仰的源头。连富士山的例子都不必举,对山抱有敬意和畏惧并不是稀奇的事,这与泛灵论相连,其后发展成信仰的事情不光是日本实际上在世界各地都可以看到。摩西获得神的十诫的西奈山、印度神话和佛教思想中在宇宙中心挺立的妙光山(须弥山)、历代皇帝们为了即位而举行封禅仪式的中国泰山(五岳之首)等等,不胜枚举。在这之中的日本人也对山抱有敬畏,有着将山自身作为神进行崇拜的漫长历史。山中和山麓里存在的各类神社,多数原本就是将山本身作为神进行祭祀的地方。「天孙降临」以后基本上转为了祭神,但是闭居山中进行修行的山伏们继承了以古老形式保留下来的信仰。
修験道の始まりは、7世紀に実在した伝説的人物「役小角(えんのおずぬ)」とされています。6世紀に百済(現在の朝鮮半島南西に位置した国家)から日本に仏教が伝わって以来(かつて歴史の授業で「仏教伝来」とされていましたが、それ以前から仏教自体はさまざまな形が伝わってきていたことが確認されているため、現在は「仏教公伝」と呼ばれています)、日本の信仰事情は大きく変化しました。今や歴史的には実在が危ぶまれてしまっている聖徳太子の「十七条憲法」で仏教が指示されたことで貴族あるいは豪族と呼ばれる人々はこぞって仏教を信じるようになり、神社存続のため記紀神話の神々は仏の仮の姿だったと考える「神仏習合」が進められたなどとも言われるように、日本の宗教界は仏教に席巻されてしまいました。
修验道的开始,来源于7世纪实际存在的传说人物「役小角」。6世纪从百济(地处现在朝鲜半岛西南位置的国家)向日本传来佛教之后(以前在历史课上被称为「佛教传来」,但是现已确认佛教自身在此之前就以各种各样的形式传播进来,因此现在被称为「佛教公传」),日本的信仰情况发生了巨大的变化。由于如今被怀疑是不是历史真实人物的圣德太子在其「十七条宪法」中指定了佛教导致贵族或者说豪族全体信仰了佛教,为了将神社延续下去而将众神作为诸佛化身的「神佛习合」开始流行,就像这样日本宗教界被佛教所席卷。
役小角は日本山岳信仰の中心のひとつ、「三輪山」そのものを神「大物主」として崇める三輪氏に生まれ、仏教を学んだ後「葛城山」や「熊野」、「大峰山」などの霊山に入って修行し強力な神通力を得たとされます。前鬼、後鬼と呼ばれる鬼を使役したなど現実離れした伝説が数多く伝わっており、10世紀ごろに活躍したとされる陰陽師・安倍晴明にも似た、古代日本のスーパーヒーローと言っていい存在です。法力を操り空を飛ぶ姿は行者姿の天狗のルーツになり、中国の道教思想の中心にある「仙人」を想起させるところがあって、人々の憧れの対象にもなっていきます。役小角を崇拝する人たちが山に籠って修行するブームが始まると、702年には山での修行を届け出制にするなど法律(大宝律令)での制限が必要なほどに発展していきました。
据说役小角出生在作为日本山岳信仰的中心之一的,将「三轮山」作为神「大物主」进行崇拜的三轮氏中,学习佛教后又进入「葛城山」、「熊野」以及「大峰山」等诸座灵山进行修行而获得了强大的神通力。流传着很多诸如使役被称为前鬼、后鬼的鬼这种与现实脱离的传说。他与10世纪前后活跃的阴阳师安倍睛明相似,可以说是古代日本的超级英雄般的存在。运用法力在空中飞行的姿态成为修行者姿态的天狗的起源,并且让人联想到处于中国道教思想中心的「仙人」,成为人们憧憬的对象。崇拜役小角的人们闭居山中进行修行的热潮开始后,从702年起发展成在山中修行需要进行申报这种必须用法律(大宝律令)进行限制的程度。
ブームの火に油を注いだのが、774年に生まれた後の弘法大師空海です。空海もまた仏教を学んでから山に籠って修行をして、当時部分的に日本にも伝わっていた密教こそ真理と考え中国に渡りました。そこで密教の奥義を授かって日本に戻り、高野山に修行道場を開いて真言密教(京都の東寺を根本道場としたことから「東密」とも)を始めたわけです。また、空海と同時に唐に渡った最澄が日本に戻ってから開いた天台宗も、後に密教要素を強化して「天台密教(台密)」を確立します。以降日本の仏教は密教が基調のひとつとなり、修験道も真言宗系の「当山派」と天台宗系の「本山派」が主流となっていきました。そんな歴史的な流れの中、修験者(山伏)のイメージが固まっていき、そこから天狗という存在が生まれていったものと思われます。
进一步助长这次热潮的,是774年出生的弘法大师空海。空海也在学习佛教之后闭居山中进行修行,他因认为当时支离破碎地传播到日本的密教才是真理而渡海去了中国。之后领受了密教奥义后回到日本,在高野山开设了修行道场并始创了真言密教(因为京都的东寺是根本道场所以也叫「东密」)。另外,和空海同时去唐朝的最澄回到日本后开设了天台宗,之后强化了密教的要素并确立了「天台密教(台密)」。此后日本的佛教中密教成了基调之一,修验道中真言宗系的「当山派」和天台宗系的「本山派」成为了主流。在这段历史上的发展中,修验者(山伏)的印象不断巩固,在此之中天狗这样的存在便开始诞生出来。
天狗の姿かたち
天狗的姿容
天狗の「狗」は「犬」を意味していて、特に子犬を指しますが、「小さい」「取るに足らない」あるいは「劣ったもの」といった否定的ニュアンスを伴う漢字です。羊として出されたものが犬だったという意味の「羊頭狗肉」や、「権力の走狗」みたいな言葉にも使われます。「天狗」というのは中国に古くから伝わる空想上の動物で、雷のような大きな音とともに流れ星が落ちた場所にいた犬に似た動物のことで流星の正体と考えられました。中国帰りの留学生を通じて日本に伝わったことが『日本書紀』に記されているのですが、これを「あまつきつね」と読んだことから日本における天狗のイメージに混乱がおきたようです。
天狗的「狗」是「犬」的意思,尤其指幼犬,是伴随着「小的」「微不足道」或者「劣质品」这种否定语气的汉字。在把狗当作羊拿出的意思的「羊头狗肉」,以及「权力的走狗」这样的词中使用。「天狗」是从中国古代传来的幻想中的动物,伴随着雷鸣似的巨大声音在流星坠落的地方出现的类似于狗的动物因为被认为是流星的真身。通过从中国归来的留学生传往日本并被记载在『日本书纪』中,但因为读作「amatsukitsune」1导致日本的天狗形象发生了混乱。
日本で狐といえば、稲荷信仰における神の使いとしてよく知られていますが、稲荷信仰がいつごろから始まったのかはいくつも説があってはっきりしません。『日本書紀』には渡来氏族とされる「秦氏」の氏神として8世紀ごろ知られるようになったと記されていますが、一方で稲荷信仰は稲作に伴う豊穣の神として古くから崇められてきたという考え方も強くあります。稲荷神社の総本社とされる伏見稲荷大社は『古事記』に記されている「宇迦之御魂(うかのみたま)」を主祭神としていて、伊勢神宮外宮の主祭神である豊受大神(とようけのおおかみ)と同一視されることから「天照大神の食事」を司る「御食津神(みけつかみ)」という呼び方もされ、これが「三狐神」という漢字で書かれたことが狐と関連付けられる原因と考えられています。また稲荷信仰はインドの鬼女ダーキニーが仏教に取り込まれて神となった「荼枳尼天(だきにてん)」とも同一視されています。よく白い狐に乗った姿でイメージされる荼枳尼天は、神通力を与えてくれる神として修験道で信仰対象となりました。天狗の由来と考えられるこれらの伝承は、鼻高天狗や烏天狗のイメージとはまず結びつかないのですが、記紀神話には外見的なルーツと目される存在が別にいます。それは「天孫降臨」を先導した国津神「猿田彦(さるたひこ)」、長い鼻と人並み外れた体格が特徴で、全身が赤く光っていることからも天狗の外見的イメージに近いと考えられています。
日本的狐狸,是作为稻荷信仰里的神使而被广泛认知的,而稻荷信仰从什么时候开始则有多个假说而难以判明。根据『日本书纪』中的记载狐狸是作为渡来氏族里的「秦氏」的氏族神在8世纪左右被认知,另一方面狐狸作为稻荷信仰中伴随稻作的丰收之神从很早就开始接受崇拜的说法也很强有力。作为稻荷神社的总本社的伏见稻荷大社中『古事记』记载的「宇迦之御魂(uka no mitama)」是主祭神,和伊势神宫外宫的主祭神「丰受大神(Toyouke no ookami)」被视为相同的并且同时被称为主管「天照大神的饮食」的「御食津神(miketsukami)」、汉字写作「三狐神」2可能就是与狐狸产生关联的原因。也有人认为稻荷信仰和印度的鬼女荼枳尼纳入佛教后产生的神「荼枳尼天(dakiniten)」是相同的。印象中经常是骑着白狐的姿态的荼枳尼天,作为授予神通力的神成为修验道的信仰对象。考虑到有关天狗的由来的这些传说,虽然暂时无法和鼻高天狗及鸦天狗的印象相连,但在记纪神话中另有可以看作是外观的来源的存在。为「天孙降临」先导的国津神「猿田彦(sarutahiko)」, 以长鼻和异于常人的体格为特征,全身发着红光因而可以认为和天狗的外表印象相近。
幻想郷の烏天狗である射命丸文にも、山伏姿の天狗と共通する要素があります。まず目につくのが頭の上の小さな帽子状のものですが、これは山伏がつける「頭襟(ときん)」と呼ばれる装飾物で、「漆紗(しっさ)」と言う漆で固めた布で作られています。古代日本の貴族は同じ素材で作ったさまざまな形の冠を公式の場で着用していたようで、よく見る聖徳太子の肖像が被っているのもそうです。背中に生えている黒い翼はもちろんカラスのそれで、高い一本歯の靴は天狗が履いた一本歯の下駄を現代的かつ女性的にアレンジしたものと言えます。風を起こすために持っている団扇は、天狗の中でも位の高い大天狗の持ち物として知られるもので、ヤツデの葉に似た形で天狗自身か眷属の羽で作られています。風のみならず火を起こしたり、空を飛ぶのに使ったりとさまざまな通力を発揮できもので、天狗にとってももっとも大事な武器といえますが、幻想郷のブン屋である射命丸文にとっては、剣よりも強いペンや写真機のほうが重要なのかもしれません。
幻想乡的鸦天狗射命丸文,也有着和山伏姿态的天狗共通的要素。首先引人注目的是头上的小帽子状的东西,这是山伏佩戴的称为「头襟」的装饰物,用叫做「漆纱」的用漆固化后的布制成。古代日本的贵族用同样的素材做成各种形状的冠在正式场合佩戴,常见的圣德太子的肖像上戴着的也是如此。背后生长的黑翼毫无疑问是乌鸦的翅膀,高的一齿靴可以说是将天狗穿的一齿木屐改造成现代女性风格所得的东西。为了呼风而持的团扇,是作为天狗中地位高的大天狗的所持物为人所知,与八角金盘的叶的形状相似并且由天狗自身或其眷属的羽毛制作。可以用于呼风唤火、飞天等发挥出多种多样的神通力,可以说是对天狗而言最重要的武器。但是对于作为幻想乡的记者的射命丸文来说,可能比起剑更重要的是笔和照相机。
塩田信之
盐田信之
主にゲームやアニメ関係の文章を書くことが多い、歴史と神話好きなライターです。当方について書くのはこれが初めてとなりますが、以前からその世界観には注目していました。東方世界に関連した神話や伝承について、外堀から埋めていくつもりで紹介していきたいと思っています。
主要编写关于游戏和动画的文章,喜欢历史和神话的作家。写东方相关的东西还是第一次,从以前就关注着它的世界观。关于东方世界相关的神话和传说,想由外及里地进行介绍。

注释

  1. 通用的汉字为天狐
  2. “御食津神”读作みけつかみ(miketsukami),古日语“狐”读作“けつ(ketsu)”,みけつかみ的假借字为三狐神