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东方外来韦编/弐/幻想之源

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  • 该内容于杂志中页数:022-023
  • 翻译:hyzdjx

幻想之源

Fragment of Phantasy


「紅魔郷」における重要な要素である「吸血鬼」。
いや、ゲーム的に吸血鬼ということが重要かというとそうでもないのだが……。
まあでもキャッチーなトピックには変わらないので、ここでちょっと一服どうぞ。
说起「红魔乡」里重要的要素就要数「吸血鬼」了。
不,要说吸血鬼这一要素在游戏里重要似乎也不然……。
但是不论如何这无疑是诱人的话题,让我们在这里稍作休憩吧。
 「紅魔郷」のボスキャラクターであり、今や妖怪として西洋代表の座をゾンビと二分するくらいメジャーなのが吸血鬼だ。文字では「血」を「吸」う「鬼」と書くわけだが、「血を吸う怪異」がいわゆる吸血鬼だけかというと、もちろんそんなわけはない。代表的なものをいくつか見てみよう。
 吸血鬼既是「红魔乡」的BOSS角色,也是现今在西方妖怪代表中和丧尸1二分天下的妖怪。文字上写作「吸」「血」的「鬼」,但要说吸血鬼是「吸血的怪物」的话,也不尽然。让我们看看它的几个代表吧。
・ラミアー(ギリシャ):子供の血を吸う、他の子供を食べる。
・エンプーサ(ギリシャ):メスカマキリの怪異。眠っている男に悪夢を見せながら血をすする。
・カーリー(インド):女神。自分の流血から分身を作る敵との戦いで、相手の血液全てを吸いつくして倒した。
・グール(アラビア):人間の死体や子供を食べる。
・キョンシー(中国):夜に動く死体。生者の頸をねじ切り血を飲む。噛まれたり怪我を負わされた者もキョンシーになる。
・河童(日本):尻の穴から内臓を抜いたり血を吸ったりする。あと尻子玉を抜く。
·拉弥亚(希腊):吸孩子的血,吃其他的孩子。
·恩浦萨(希腊):雌螳螂怪物。一边让睡眠中的男人做噩梦一边吸他的血。
·时母2(印度):女神。从自己流出的血里产生分身和敌人战斗,吸干对手的血液将其打倒。
·食尸鬼(阿拉伯):吃人类的尸体和孩子
·僵尸(中国):在夜间活动的尸体。扭断生者的脖子来吸血。被咬到受伤的人也会变成僵尸。
·河童(日本):从肛门扯出内脏吸血。还有抽尻子玉。
 キリが無いのでこの辺にしておく(なぜ河童はここまで尻にこだわるのか、という話も置いておく)。
 列举起来没完没了所以暂且打住(为何河童如此执着于肛门的话题,也就此打住)。
 こういう伝承を見ていくと、吸血怪物的なものが存在するための前提としては「血液」という人間の生そのものが信仰や神秘の源となっていて、その裏返しとしてそれらを求める/大切にする伝承が起こっていたようにみえる。代表的なもので言えば「生贄」を用いた儀式などがそうだ。人間やその代替として家畜の生き血を捧げ、何者かに祈り宣託を得る、というシャーマニズム的なシステムにおいて、血は重要なアイテムとして登場する。
 看看这些传说,吸血怪物存在的前提「血液」这一人类的产物是作为信仰和神秘的源头,反过来又诞生了渴求/重视它的传说。其中的代表大概就是使用「活祭」的仪式。献上人类或替代人类的家畜的活血,用以祈求神谕,在这种萨满教的系统里,血作为重要的道具登场。
伝承のハイブリッドとしての吸血鬼
传说杂糅的吸血鬼
 そういった原初的な信仰と、疫病、宗教などさまざまな要因が混じり合って古代ルーマニアで育っていったのが、復活する死者としての吸血鬼の伝承だった……というのが今のところ後付けで考えられている歴史的な経緯だ。場所的な理由としては、文明の発展した地域から遠すぎず、またそれによって人の出入りが多いことが挙げられる。距離が離れていれば、発展した都市部とは異なる文化が成立し、やがてそれぞれが混ざり合う。土着の信仰は、発展した官僚的なシステムを持った新しい宗教の流入によって踏み荒らされ、摩擦が起きる。さらに人間の行き来が起こるので、菌の伝播も活発になる。今でも残る吸血鬼の特徴として言われる「吸血鬼に殺された/吸血された者も吸血鬼になる」などは疫病の流行などと無縁ではないだろう。だが、その他の特徴――たとえば永遠の若さを持つだとか、蝙蝠に変身することができるだとかいったものは、地域的・歴史的に徐々に付加されていったものなので、興味のある人は調べてみるとよいだろう。
 这种原初的信仰,和疫病、宗教等等要因混合后在古代罗马尼亚孕育出,作为复活的死者的吸血鬼的传说……这是现在附会得出的历史经过。地点上的标准,是不能选择远离了文明已经发展过的地域,并且那里的人群流动能被得知很大。如果地域相距较远,城市发展后产生的文化会相异,不久会互相杂糅。土著的信仰,会由于具备发达的官僚系统的新兴宗教的流入而被践踏,双方产生摩擦。并且由于人类发生了来往,细菌的传播也变得活跃。现在遗留下的吸血鬼的特征「被吸血鬼杀害/被吸血的人也会变成吸血鬼」大概也并非与疫病的流行无缘。但是,其它的特征——例如永葆青春、能够变身为蝙蝠等等,则是由于地域、历史的因素渐渐附加上去的东西,感兴趣的人查查也不错。
 もともとキリスト教が支配的でない地域にキリスト教が入り込んだ影響は世界各地で計り知れないほどある。それぞれの地域に根付いた神を悪魔に貶め、生活様式や道徳観を書き変えるなど、枚挙にいとまがない。そういう影響は幻想の存在たちにも当然大きく影響してくるのだ。たとえば、やたら苦手なものが多い吸血鬼だが、なぜ苦手なものが多いのか考えたことはあるだろうか。そして、そんな苦手なモノの中に、なぜ十字架があるのか考えたことはあるだろうか。「十字架が苦手」というのは短縮された表現で、実際は「信仰心を持つ者がかざす十字架が苦手」とされている。つまり信仰心が無い者が十字架を向けても、吸血鬼にはちっとも効かない、というわけだ。つまり、十字架そのものがスゴいわけではなく、その十字架を持つ人の心が云々……、という話なわけだがさて、ここで尊重されているのは果たして一体何なのか。十字架か。信仰心か。それは何への信仰なのか。興味深いところではある。
 在世界各地原本没有被基督教支配的地域受到基督教进入的影响无法估量。各地域各自扎根的神被贬为恶魔、生活方式和道德观被改写等等,不胜枚举。这些影响也无疑对幻想的存在产生了很大影响。例如,拥有很多不擅长应对的物品的吸血鬼,为何有着这么多不擅长应对的物品呢。并且,这些不擅长应对的物品里,你曾想过为何十字架也在其中吗。「不擅长应对十字架」这种简写表达,实际是「不擅长应对持有信仰心的人举起的十字架」才对。也就是说没有信仰心的人即使把十字架面向吸血鬼,对吸血鬼来说,也丝毫不起作用。就是说,厉害的并不是十字架这个东西,而是持有那个十字架的人的心……,有这些说法,那么在这里受到尊重的到底是什么呢。十字架吗。信仰心吗。那是对什么的信仰呢。这是很有趣的地方。
吸血鬼というブーム
吸血鬼热潮
 かくして東ヨーロッパから広がった吸血鬼だが、ビジュアルイメージが初めから統一されていたわけではない。この21世紀に「吸血鬼」と言われて最初に頭に浮かぶビジュアルは、マントを羽織った紳士が女性の頸筋に牙を立てて生き血を啜る、というテンプレ……これは、もう若い方にはちょっと古すぎるだろうか。とりあえずその前提で話を進めるが、これがイメージとして多くの人の頭にすりこまれるに至るためのキーワードは、大きくは2つある。
 于是乎从东欧流传开的吸血鬼的视觉形象,从一开始就没有统一。在这个21世纪里一说到「吸血鬼」浮现在头脑中的第一印象,就是披着斗篷的绅士对着女性的脖子竖立着牙吸着鲜血,这种刻板印象……这种印象,对于年轻人而言是不是已经老掉牙了啊。姑且以这个为前提继续说下去,让很多人的头脑里烙下这个印象的关键词,大致有两个。
・ブラム・ストーカー著「ドラキュラ」(1897年)
・映画「魔人ドラキュラ」(1931年)
·布莱姆·斯托克所著的「德古拉」(1897年)
·电影「魔人德古拉」(1931年)
 「吸血鬼ってドラキュラの名前じゃないの?」くらいに「ドラキュラ=吸血鬼」が超有名になったのは、ブラムの小説が原因である。ルーマニアの伝承を下敷きに、現代(※書かれた当時の現代=19世紀末のイギリス)を舞台にした小説で、トランシルヴァニアに住むドラキュラ伯爵が、獲物を求めてイギリスにやってくるという内容だ。
 让「吸血鬼不就是德古拉的名字吗?」这种「德古拉=吸血鬼」的说法非常出名的原因,是布莱姆的小说。基于罗马尼亚的传说,以现代(※书写时的现代=19世纪末的英国)为舞台的小说,是居住在特兰西瓦尼亚的德古拉伯爵,为了狩猎前往英国的故事。
 ここで登場する「ドラキュラ伯爵」は「伯爵」なので、当然クラシカルな紳士スタイルの人物として描かれているわけだが、この大ヒット小説が当時台頭してきた新しい娯楽の王様「映画」として上映されさらにヒットすることで、ドラキュラ=マントの紳士というビジュアルイメージが確たるものとなっていく。小説「ドラキュラ」は映画化以前に舞台としてもロングヒットを飛ばしていたし、ブロードウェイでも成功していたが、技術の先端であるところの映画、それも無声ではなくトーキーでの映画企画として立ち上げられたことで、イメージの伝播は加速。1931年2月にニューヨークで上映され、同年の10月には日本でも公開されているのだから舞台よりも多くの人の目に触れる機会があったことだろう。そして、商業としては当然のことながら大ヒットしたのだから続編は作られるし、似たような作品も多く作られていく。ビジュアルイメージはどんどん伝わっていくのだ。
 在这里登场的「德古拉伯爵」由于是「伯爵」,因此当然描写成古典绅士风格的人物,这个大人气小说因被改编成当时崛起的新兴娱乐之王「电影」进行上映而进一步提升了人气,德古拉=斗篷绅士的视觉形象就逐渐确定下来。小说「德古拉」在电影化以前作为舞台剧就长盛不衰,在百老汇也获得成功,在作为技术标杆的电影中,电影企划自创建时就决定不使用无声而使用有声技术,这加速了印象的传播。由于1931年2月在欧洲上映,同年10月在日本公开上映因而相比于舞台剧能够让更多的人有机会看到。并且,由于非常火爆在商业上理所当然地推出了续作,制作了很多相似的作品。视觉形象顺利地传播开来。
 ちなみにここに挙げた「魔人ドラキュラ」以前にも吸血鬼を題材にした映画はあるのだが、どうも「ドラキュラ」を原作として映画を製作するという許諾が権利者か降りなかったため、微妙に内容を改変して「吸血鬼自体は出る映画」が作られており、それらの吸血鬼のビジュアルイメージも似ていたり違ったりと映画の中でも統一性は無かったようだ。また、「牙が生えている」というイメージを本格的に定着させたの「魔人ドラキュラ」のリメイク的な位置づけに当たる「吸血鬼ドラキュラ」(1958年)からのようだ。
 此外在于此列出的电影「魔人德古拉」之前也有以吸血鬼为题材的电影,好像是由于没有从版权方那里得到以「德古拉」3原作来进行电影制作的许可,因而微妙地改变了内容制作了「吸血鬼本身出现的电影」,那里的各种吸血鬼的视觉形象上也一部分相同一部分不同,电影中也没有进行统一。另外,将「长着牙」的形象正式固定下来的大约是电影「魔人德古拉」的重制版本「吸血鬼德古拉」(1958年)。
産業革命がもたらす光と闇
产业革命带来的光与暗
 「ドラキュラ」が吸血鬼小説の元祖ではないにせよ、19世紀初頭から徐々に出始めたジャンルだった。賢明なる読者諸兄はお気づきのことかと思うが「小説」の流行は活版印刷技術無くしてはないものだし、「映画」も言わずもがなの近代技術である。「吸血鬼モノ」の流行は産業革命なくしてありえなかったと言えるだろう。だが、それは表向き、技術的な部分だけの話だ。つまり「広めることが可能になったからといって、多くの人に拡がるのとは話が別」ということだ。社会的には科学技術の進歩が急激に起こると、しばしばその反動のようにオカルトが流行ったり影響力を持ったりすることがある。18世紀後半その19世紀にかけては、「革命」と言われるくらいさまざまな産業が発展したわけで、その19世紀の終わりごろに技術とは真反対の性質を備えた吸血鬼(しかも古い貴族!)を題材にしたストーリーが技術の助けを得て大いに流行を迎えた、という想像はちょっとぐらいは本質に引っ掛かってくれないかと思うものだが、どうだろうか。
 然而吸血鬼小说的开创者并不是「德古拉」,这是19世纪初期就逐渐开始出现的题材。贤明的各位读者可能已经注意到「小说」的流行离不开活版印刷术,「电影」更不必说是近代技术。「吸血鬼题材」的流行可以说离不开产业革命。但是,那只是表象,仅仅是技术部分的原因。也就是「让传播得以实现,并不意味可以在很多人中传开」。在社会层面上科学技术迅速进步,但是它的反作用常常有着让灵异4流行的影响力。从18世纪后半到19世纪,各种各样的产业可以说是如「革命」般发展,大约在19世纪末以具备为技术相反面的性质的吸血鬼(并且还是古老贵族!)为题材的故事借助技术迎来了大流行,这种观点是不是有些接近事情的本质,你觉得呢。
ツェペシュ公について
关于穿刺公
 最後に、もう一人の吸血鬼関連の有名人について触れて本稿を終えたい。「紅魔郷」6面のステージ曲名にも登場するヴラド・ツェペシュについてだ。15世紀、ルーマニアの南部ワラキア公国を治めた君主で、南から迫るオスマン・トルコ帝国との苛烈な戦いで知られる。特に、領内の治安維持のための串刺し刑が有名で、ブラムの小説「ドラキュラ」のモデルの一人となった。だが、ヴラド=吸血鬼というイメージは今で言うところの風評被害以外の何物でもない。まず当時、串刺しは特別に珍しい刑罰ではなかった。それはキリスト教国とイスラム教国とを問わずである。さらに、こちらが一番の原因ではあるのだが、当時ワラキアの隣国ハンガリーは「お前のところも東欧のキリスト教国として十字軍送れよ」という圧力を受けていたが、自国の政情が不安定だったり戦費を負担したくなかったりで、十字軍を送りたくなかった。そこでなんと、善戦を続けるワラキアの君主ヴラドをオスマン帝国の協力者というでっちあげの罪状で逮捕・幽閉。挙げ句の果てに「ヴラドは残虐で人を無差別に殺している」「殺した人間の血肉を用いて晩餐会を開いている」という事実無根の悪行をねつ造し、国内にばらまいたのである。この幽閉はハンガリー国王の妹とヴラドが結婚してカトリックに改宗するまで続いたようだ。
 最后,我想再谈一个和吸血鬼有关的名人来结束本篇。那就是在「红魔乡」6面stage曲名里也登场的弗拉德三世·采佩什。他是15世纪,统治罗马尼亚南部瓦拉几亚公国的君主,因和从南方逼来的奥斯曼·土耳其帝国进行了激烈的战斗而闻名。特别地,他为了维持领地内的治安而采用的穿刺之刑很有名,于是成为布莱姆的小说「德古拉」中一个人的原型。但是,弗拉德=吸血鬼这种形象在现在来说只能说是名誉受到了侵害。首先在当时,穿刺刑并非是特别罕见的刑罚。它在基督教国家和伊斯兰教国家里无疑都存在。并且,最重要的原因是,当时瓦拉几亚的邻国匈牙利受到「这片土地是东欧的基督教国家所以要派出十字军」的压力,但是由于自己国家的政局不安定以及不想负担军费,因而不想派出十字军。居然,把一直奋勇作战的瓦拉几亚君主弗拉德以奥斯曼帝国的帮凶的罪名逮捕、幽闭。结果最终捏造了「弗拉德很残忍会无差别杀人」「一直使用杀死的人的血肉开晚宴」这种毫无依据的恶行,传遍了全国各地。这个幽闭一直持续到匈牙利国王的妹妹和弗拉德结婚而弗拉德改信天主教为止。
 このようにして、串刺し……が残忍じゃないとは言えないような気もするが、頑張って国を守っていた君主は残虐非道な吸血鬼、というところまで反対のイメージで後世に語り注がれることになった。だが、最近はそれも風評被害であることが調べればすぐにわかってしまうので、ある意味でヴラド=吸血鬼の図式は幻想入りしたと言えるのかもしれない。
 如此这般,穿刺……也不能说不残忍,努力守护国家的君主是残忍无情的吸血鬼,这种反面形象一直在后世流传。但是,最近只要一调查就可以立马知道事实是名誉受到了侵害,在某种意义上弗拉德=吸血鬼的图式可能可以说是已经进入幻想了。
  1. Zombie
  2. 音译为「迦梨」
  3. 小说版
  4. 原文为Occult