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东方外来韦编/弐/ZUN访谈

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Strange Creators Interview 03
ZUN、Windows初期3作を振り返る
Strange Creators Interview 03
ZUN,对Windows初期3作的回顾
常に前のめり、最新作が最高傑作と語るZUN氏に、今回は珍しく昔を振り返ってもらい、いろいろと話をきかせてもらった。今だからこそ言えることは、果たしてあっただろうか。
常把眼光放在前方,称赞最新作是最高杰作的ZUN,这次稀有地回顾了一下过去,跟我们讲述了很多事情。到底有没有什么话,是到了现在才能说出口的呢。
「紅魔郷」について
关于「红魔乡
ZUN
 プレイヤーにとってはともかく、僕にとっては「紅魔郷」は東方6作目なので、ネタ的にも変わったことをしたくなっていたタイミングなんです。そしてWindowsとしては第1弾だし、多くの人にとっては最初に触れる作品になるだろうから、「東方」なのに「西洋風」のボスを出したくてレミリアというキャラが生まれました。こういうのは一発目でしかできないネタですからね。意外性のために突然現れた吸血鬼。「東方」と言っておいて東方感は一切なくって、むしろなんでもあり。メイドキャラも出てくるし魔女も出てくる。そういうごった煮感が最初からコンセプトにあったゲームでした。東方っぽいのはせいぜい3面の中国くらい(笑)。
 先不论玩家,对我来说「红魔乡」已经是东方的第6作,是一个想要去换一换主题的时机。而作为Windows版这又是第1弹,对于大多数人来说这可能是他们接触的第一个作品,所以明明是「东方」我却想让「西洋风」的BOSS登场于是就诞生了蕾米莉亚这个角色。毕竟这是一件只有第一次的时候才能去做的事情。为了意外性而突然现身的吸血鬼。名为「东方」却没有任何东方感,不如说一切皆有可能。出现的既有女仆角色也有魔女。这个游戏最初就是这种大杂烩感觉的设计理念。有东方的感觉的也只有3面的中国了(笑)。
ZUN
 音楽面でも、そんなに和風な曲を作るつもりも無く、曲も西洋風でやろうと決めていました。作品全体をそういうふうに仕上げたうえで、あえて「東方」って名前をつけたかったんです。主人公は巫女さんなんで、「巫女さんさえいれば東方だろう」って。もちろん、西洋風というだけで急に吸血鬼に決まったわけじゃないんですが、吸血鬼が持っているキャラの魅力だけで、もうすごく強いですからね。いろいろな弾幕が作れる。西洋代表の妖怪と言っていいですよね。ほかにもいろいろなキャラがいますけど、インパクトが欲しいところで別にマイナーな妖怪を取り扱う必要はないですから。
 在音乐上,我也没有一点制作和风曲子的意思,一直决定曲子也采用西洋风。我想把整个作品弄成这种风格,然后故意起名叫「东方」。毕竟主人公是巫女,心想「只要有巫女小姐就是东方了吧」。当然,并不是因为西洋风才突然决定采用吸血鬼的,不过吸血鬼所拥有的角色的魅力,还是相当强的。能让我制作各种弹幕。可以说是代表着西洋的妖怪。虽然西洋还有其他各种角色,但我只是想要一些冲击所以并没有必要选取各种冷门的妖怪。
「妖々夢」について
关于「妖妖梦
ZUN
 前作は「意外性」がキーになっていたんですが、今回はガッツリ「和風」。いよいよ東方の本領発揮なわけです。1発目が和風でも盛り上がるんですけど、意外性は少なくなりますからね。「妖々夢」のラストは死者と戦うことは決まっていたんです。ラスボスが死者っていうのはいいんと思って。で、最初の頃に出てくるボスも最初からは死者にはしない。なかなか幽霊も敵として出てこない。ラスボスが亡霊っていうゲームも珍しいと思うんですよ。死者の世界に行くゲームはよくあると思うんですが、あくまでも通り過ぎる場所であって目的地ではないというか。
 幽々子との会話は死を軽く見ているというか、明るく見ていますよね。生と死が隔絶しているんではなくて、地続きなんだっていうところが、東方の世界はこうなんだって。らしいなと思うんです。
 前作的关键是「意外性」,但这回是完完全全的「和风」。终于到了东方发挥本领的时候了。如果第一次就是和风应该也能受欢迎,但意外性就少了。我一开始就决定好了「妖妖梦」的最后会与死者战斗。我觉得最终BOSS是死者会很好。即便如此,最初登场的BOSS都不会是死者。幽灵也不怎么会作为敌人出现。我觉得最终BOSS是亡灵的游戏是很少见的。虽然我觉得前往死者世界的游戏很多,但大多都是作为路过的地方而很少成为目的地。
 与幽幽子的对话把死亡轻描淡写,或者是对死亡乐观看待。在东方的世界里,生死并非两隔,而是相互接壤。我觉得这很有东方的特色。
ZUN
 妖夢は半人半霊という設定ですが、半霊の部分は別に体と繋がっていないんです。人間と幽霊とのハーフという設定だけは決まっていたので、じゃあ両方描いたらいいかって。それで、それぞれ半人前ということで描いたんです。
 いつからかデザイン面でも吹っ切れてきて。今の霊夢はスカートですけど、昔デザインした時は巫女だから袴を穿かせなきゃってちゃんと描いていたんです。でも、よく考えたら架空のゲームなんだから別になんでもいいじゃないかと思って。そうしたら巫女からはどんどん離れたデザインになっていきました。でもみんなからは巫女じゃんって思ってもらえるし、それでいいんだという意識が当時強かったですね。これは適当にデザインしても問題ないんだなと。その流れで人間と幽霊のハーフもこれでいいんだということで、それぞれ別々に分かれているけど一人のキャラということになったんです。妖夢は真面目なキャラクターのイメージはあります。なんだかんだで使いやすいので、早苗の次くらいには顔を出しているかもしれませんね。
 妖梦的设定是半人半灵,但是半灵的部分与身体并不是连着的。由于人类与幽灵混血这个设定本身是早就决定好的,我就觉得把两边都画出来会比较好。因此,我以两者各占一半的样子画了出来。
 我在设计层面上也渐渐变得开放了。如今的灵梦穿着裙子,但以前设计的时候觉得既然是巫女就一定要穿裤裙所以也是那样好好画的。不过,仔细想想因为这是个架空的游戏所以什么样子都无所谓。这样一来灵梦的设计就与巫女越来越不同。我当时主要的想法是既然大家都觉得她是巫女,那就没问题。我觉得这个随便设计设计就好了。按照这个模式我也觉得人类与幽灵的混血设计成这样就好了,虽然二者分离但其实是一个角色。妖梦这个角色有一种认真的印象。因此她也用起来很顺手,她的登场次数应该仅次于早苗吧。
ZUN
 あとは波長の話をしなきゃね。波長は長さによって色があるわけですが、ちょうど「『紅』魔郷」の赤から始まって『紫』で終わる、ということを考えていて、その流れで「永夜抄」では波長を操る敵が出てくるんですね。だから当時は色を使ったネタがいろいろなところに出てきます。そういう意味での「紫」の登場です。ここで幻想郷の設定を出して、他の作品でも使いやすくしたかった。
 紫が登場することで、「永夜抄」では幻想郷とはまた別の場所に話を持っていけるんです。先に紫を出していないと、どこまでが幻想郷かというのがわからないから、月の都も幻想郷にあるんじゃないかと思われちゃってたでしょうね。紫が居ることで「ここまでが幻想郷である」っていう話ができる。
 外の世界と言ったけど、幻想郷の外の世界が全部「向こう」かっていうとそうではなくて、「花映塚」でも急に地獄の話をし始めるし、「妖々夢」だって冥界は幻想郷ではないですからね。思ったよりも幻想郷は狭い、ということなんです。
 ああいうキャラクターの作り方は勇気がいりますね。企画を遠そうとしても難しいというか。ストーリー自体は完結しているけれど、一作品だけでは始まってすらいるかどうかもよくわからないことを示すキャラですから。
 另外还得提一下波长的事情。有了波的长度才有了颜色,我当时的考虑是,想要以「『红』魔乡」的红开始再以『紫』结束,顺着这个趋势「永夜抄」里又出现了操纵波长的敌人。所以当时随处都有各种用了颜色的典故。「紫」是因此登场的。我想在这里公布幻想乡的设定,从而易于在别的作品中使用。
 通过紫的登场,「永夜抄」得以把故事带到幻想乡之外的地方。如果没有紫先登场,人们就不知道幻想乡从哪到哪,人们会误以为月之都也在幻想乡内。因为紫在才能有「幻想乡到此为止」这种描写。
 说到外面世界,幻想乡外的世界并非全部都是「那一侧」,「花映塚」里就突然提到了地狱的事情,「妖妖梦」里的冥界也不是幻想乡。幻想乡其实,比想象中的要更狭窄。
 创作这样的角色需要很大的勇气。提出这样的企划感觉也很难以通过。故事本身已经在游戏里完结了,但这个角色却预示着这个系列在这个作品里可能甚至还没有开始。
「永夜抄」について
关于「永夜抄
ZUN
 輝夜は「この世界に自分が知っているものが出てきた」と喜んでもらうような作り方のキャラクターなんですが、最初からそういうことはやりにくくて、何作か作品を出してからようやく有名なキャラを出せるようになってきたわけです。そうじゃないと、折角のキャラクターがただ出てくるだけになってしまいますからね。ちゃんとした設定があるゲームに突然こういうキャラが出てきたら盛り上がるじゃないですか? 当時、おとぎ話のキャラをゲームの重要な場所に置くことはあまりなかったんじゃないですかね。歴史物とかならともかく。僕としてはかぐや姫を出すだけでも結構面白いんじゃないかと思っていたし、その土台はできていた。そして設定はオリジナルの、見たことも無いかぐや姫が出てきて、まわりを取り囲む奴らも全員おかしいっていう。
 辉夜是想让大家因为「我所知的东西也在这个世界里出现了」感到高兴而制作的角色,但最初这却很难办,出了几部作品之后才终于能够让有名的角色登场。否则,珍贵的角色登场完了就没了。有了正经的设定以后这种角色的登场不是才会引起话题吗?我记得当时,很少有游戏会把童话人物放在游戏的重要位置上吧。历史主题的游戏另当别论。对于我来说光是让辉夜公主在游戏里登场就已经够有意思的了,而做这种事的基础已经打好了。所以出现了一个有着原创设定,大家从未见过的辉夜公主,而且她身边的人也都很奇怪。
ZUN
 永琳は、東方と日本神話を繋ぐためのキャラなんですが、独特の月の都観が東方にほしかったんです。華やかなイメージではなく、皆に嫌われている月の都が。絶対的な権力を持っていて、お高くとまってて、悪いイメージしかない。ディストピアですね。
 永琳,是一个衔接东方与日本神话的角色,除此之外我还想在东方里有一个独特的月之都观。一个并不华丽,人人所厌的月之都。他们有绝对的权力,高高在上,只给人一种邪恶的印象。是一个反乌托邦。
ZUN
 考え方としては、死ぬことは穢れだから死にたくない、でも死ぬことがない世界は何かといったら、生きることも無い世界。生死が存在しない世界なんです。そう考えたら気持ち悪い世界観が生まれてくる。もしかしたら人工知能が支配する世界と変わらないのかもしれない。そんなSF観に日本神話がくっついてくる。「紅魔郷」あたりからやってきた東方の世界観がようやく完成してきて、今まで何となく遊んできたゲームに実は深いものがあって、それらがつながって世界がゲームを面白くしていたんだってことがわかってくるタイミングなんです。
 我的想法是,月之民因为视死亡为污秽从而不愿死亡,但要说没有死的概念的世界是什么样的,那是一个也没有生的概念的世界。这是一个并不存在生死的世界。这样一想就会诞生一个令人反感的世界观。可能人工智能支配的世界就是这个样子的。这样的科幻观念又结合了日本神话。这个时机会让人明白了从「红魔乡」开始拓展的东方的世界观终于要完成了,迄今为止随便玩着的游戏其实有一个深刻的含义,这些联系起来之后世界观让游戏变得更有趣。
ZUN
 弾幕シューティングは弾にキャラクター性を持たせた。キャラクター性を持たせるためにはストーリーがあった方がいい。そういう流れの答えがようやく感じられるようになってきたのが「永夜抄」でした。それは一足飛びにはできなくて、3作作る必要があったんです。いきなり「永夜抄」が発表されたとしたら、「ちょっと設定の内容が難しくて、かぐや姫が出てくるシューティングゲーム」って紹介されて終わってしまうと思うんですよ。「東方」がどういう世界で、という話にまではいかない。まあこれは結果論ですし、なんとなく目指していたことができたからいいようなもんですよね。
 弹幕射击游戏让子弹有了角色性。为了让其具备角色性就需要有剧情。在「永夜抄」的时候我终于感受到了对于这个趋势的答案。那就是我不能一口气吃成胖子,而是需要制作3个作品。如果我直接发布了「永夜抄」,人们就会评价这是个「设定内容有些难懂,辉夜公主会登场的射击游戏」然后就完了。并不会提到,「东方」是个怎么样的世界。不过这也是结果论,我最终还是不知不觉间达成了我的目标所以一切都无所谓了。
時代背景を振り返る
回顾时代背景
ZUN
 同人ソフト制作で焦る理由はほとんどなかったんです。作れれば、完成させられれば問題ないという状況で。会社員だったから給料を貰ってるので、売れなきゃいけないわけでもないし。ちゃんと3本作る、というのは個人だからできたかもしれないですね。そこから後のことは何も考えてはいなかったですけれど、おのずと道ができてきた。
 我当时制作同人软件的时候没什么需要着急的理由。只要能做出来、能做完就好。我当时还是领着工资的公司员工,所以卖不出去也没什么关系。我想我之所以能接连制作3个作品,正是因为以个人名义而活动的。我当时没有想过再那之后怎么办,不过道路已经在不经意间成形了。
ZUN
 今と当時は時代が違っていて、全く同じようなパターンで今やろうとしても、あっという間にネタが消費されて3年間持たなかったかもしれないですね。「紅魔郷」が大ヒットしたとしても、ネタを食いつくされて終わっていたかもなって。話題を続かせるためには新しいネタをどんどん提供しないといけない。話題がとぎれたらユーザーは次の作品に行ってしまうから、ゆっくり作るのは難しくなりましたよね。
 现在与当年完全不同,就算现在以和当年同样的模式制作游戏,也会因为点子迅速被人们消费而无法持续3年。就算「红魔乡」一炮走红,也可能会因为被人们厌倦而结束。想要让这个话题延续就需要不断提供新的话题也需要不断消费这些话题。一旦话题结束用户们就会迅速转向别的作品,所以现在慢悠悠地制作已经很难了。
ZUN
 東方が出てきたのは、ちょうどみんなが絵を描いたり発表したりするタイミングにも乗っかっていますし、個人がインターネットを使うことが当たり前になる流れのタイミングというか。
 东方诞生的时候,正值大家都在画着发表着自己的作品,也正是每一个人都即将能够理所当然地独自使用网络的时机。
ZUN
 今モノを作るとしたらどう作るか考えてしまいますけど、あまり変わらないかもしれないですね。ネタは消費されてしまうかもしれないけれど、じっくり作る方がいいと思います。あまり一足飛びにやりたいことに飛びつかないで。「あ、忘れたころにこれ出た!」ってなるくらいのほうがいいかもしれないですね。今は過去のものにすぐさかのぼれる、アクセスすることが容易なので、みんなが完全には忘れないくらいで活動できるとよいかもしれません。
 我有时会想如果要在现在创作作品该怎么办,但我觉得和过去也不会有什么区别。虽然话题可能会被人们厌倦,但我觉得仔细制作还是一件好事。不要直接就去做自己想做的事。可能「啊,出新作了啊我都快忘了这个了!」这样的程度刚刚好吧。如今想要追溯、浏览过去的事情很容易,所以只要以不被大家完全遗忘的程度活动就好。
ZUN
 システム的には「スペルプラクティス」を入れたらもうこのゲームは終わり、というイメージだったんです。総集編的な気持ちでやっていたので、「インペリシャブルシューティング」みたいな終わり感のある名前の弾幕がありますが、そこから先を続けて今までできたのは、当時の「完成させよう」という考え方とはまた別の考え方になってきたからなんです。でも、あそこで完成したから今があるわけですね。「東方とはこういう風に表現したい」っていう場所から「こうだったら面白いんじゃないか?」という方向に変わっていった。
 系统上来说我当时的感觉是,加入了「符卡练习」代表着这个系列游戏已经结束了。我当时是以总集篇的感觉制作这个游戏的,也有「Imperishable Shooting」这种很有完结感的名字的弹幕,但我之后能够继续制作东方,归功于我的思考方式从原本的「完成这个游戏」转换到了别的思考方式上。不过,也正因为完成了那些游戏东方才有今天。我的制作理念由「我想如此表现东方」转换到「这样会不会很有趣?」去了。
ZUN
 「妖々夢」の直後くらいから「香霖堂」の連載が始まったりして、世界を広げるにはちょうどいいタイミングだったんです。昔は「東方とはこういう世界ですよ」というのをどうやって上手く見せるかを考えて作っていました。文章で全部説明したりするのではなく、ゲームなどでどうやって見せるかを。そして、それはもうでき上がったので、今は現実社会とリンクさせていく方向なんです。
 就在「妖妖梦」之后我马上开始了「香霖堂」的连载,正是适合拓展世界观的时机。我过去是思考着如何才能很好地表现「东方是这样的世界」来制作游戏的。并非用文章来完全说明,而是怎么样才能用游戏去说明。既然,这些已经达成,接下来就该联系起现实社会了。

注释