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东方外来韦编/2019 Autumn!/幻想之源①

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  • 该内容于杂志中页数:014-015
  • 翻译:院长each

幻想之源①

Fragment of Phantasy


東方Projectにちりばめられた、様々な幻想の欠片を覗き見るコラム。
今回の一本目は、小人族のご先祖こと一寸法師と
謎が謎を呼ぶ鬼のアイテム・打ち出の小槌について追ってもらった。
文/塩田信之
本栏目将窥视星罗棋布于东方project里的,各式各样的幻想碎片。
这次的第一篇,是小人族祖先的一寸法师
紧接着则是谜题重重的鬼之道具:万宝槌。
文/盐田信之
アンチヒーロー・一寸法師
反英雄:一寸法师
 その名の通り、一寸(約3センチメートル)ほどしかない小さな身体ながら、鬼を退治した一寸法師は日本の昔話の中でも特に有名なヒーローのひとりです。鬼の宝物に含まれていた「打ち出の小槌」を使って普通の男性以上の身長になった上、金銀財宝も手に入れ身分の高い女性と結婚して幸せに暮らしましたとさ、といういかにも昔話らしい顛末になります。
  顾名思义,一寸法师体长仅有一寸(约3厘米)却降伏了鬼,是日本传说中特别有名的一位英雄。据说他使用鬼的宝物里的「万宝槌」变得和普通男性一般高了,还得到了金银财宝和身份高贵的女性结婚过上了幸福的生活,这故事经过十足是个传说。
 特にヒーローらしいところを挙げるなら、やはり鬼にひと呑みにされても体内で暴れ回ったため、鬼が堪らず吐き出して逃げていったところでしょう。童話としての『一寸法師』のクライマックスシーンです。小学校などで唄う唱歌や紙芝居、絵本、昔話のテレビアニメなどにも描かれた特に印象的なシーンです。縫い針を武器に胃の内側を突き刺しまくる一寸法師の姿は、勇ましいというよりかわいらしく描かれることが多いのですが、考えてみれば鬼も相当苦しそうな状況です。法師を吐き出した鬼はその後持っていった物をすべて打ち捨てて逃げ出してしまうのですから、気の毒にも思えてきます。
  尤其像个英雄的部分,其实还是就算被鬼一口吞了也在其体内撒野,被受不了的鬼吐出来而得以逃跑吧。这是作为童话故事的《一寸法师》的高潮场景。上小学之类的时候课上唱的歌、纸芝居、画册以及讲故事的动画中描绘的场景尤其令人印象深刻。以缝衣针为武器从胃的内侧突刺的一寸法师,其形象比起勇敢更多地被描绘成可爱,但仔细想来鬼可是非常痛苦的样子。鬼吐出法师然后把他带着的东西都扔了就跑了,觉得对不起它也不奇怪。
 今日よく知られている『一寸法師』の物語は、鎌倉末期から江戸時代にかけて写本や刊行本が作られた『御伽草子』と呼ばれる物語群の一編を子供向けにアレンジしたものです。現代語に訳されるなどの形で現在も手に入りやすい『御伽草子』は、18世紀の大阪心斎橋で出版を行っていた渋川清右衛門がまとめた、いわゆる『渋川版』です。ここに記された一寸法師の戦いを見てみると、鬼は何度も呑み込んで口を押えるけども法師はその度に目から出てきたと描写されています。あっさりした描写で、鬼もただ逃げていくだけなので緊迫感は特にないのですが、法師が目から出てくれば目玉だって飛び出すでしょうし、なかなかホラーな場面が想像できます。ほうほうの体で逃げていく鬼から見れば、法師の方こそ怪物のように思えたことでしょう。
  如今广为人知的《一寸法师》故事,是基于所谓的《御伽草子》也就是从镰仓时代末期至江户时代间的抄本和印本上的故事集中的一篇并以面向儿童进行重编而成的。《御伽草子》的现代语译本中仍然很容易入手的,是18世纪在大阪心斋桥出版的由涩川清右卫门编集的所谓《涩川版》。看其中描述的一寸法师之战,鬼反复吞咽并捂住嘴但法师每次都从它眼睛里跑出来。轻描淡写的,鬼跑了就跑了不是特别有紧迫感,但如果法师是从眼睛里出来的话那眼球也就要给挤飞出来,多少可以想象出一个惊悚的场面。总觉得在落荒而逃的鬼看来,法师才像怪物。
 ところで、鬼と遭遇する際に一寸法師はひとりの女性と連れ立っていて、鬼はその女性を狙って襲い掛かってきます。連れの女性は鬼が逃げた後、打ち出の小槌を振って法師を大きくして結婚相手となる高貴な身分の女性で、「姫」と描写されることも多く、法師はボディガードよろしく鬼から守る立場です。実際守ったわけですからカッコいいところを見せているのですが、『御伽草子』では襲われる時点ですでに女房同然の存在でした。妻を守る小さな夫もカッコいいのですが、そこに至るいきさつは現代の倫理観から見ると褒められたものではなかったりするのです。
  顺便一说,遭遇鬼的时候一寸法师正和一名女性作伴,鬼是来袭击那名女性的。在鬼逃走后,她常被描写成挥舞万宝槌让法师变大,还和他婚姻的高贵女性「公主」,法师则作为护卫从鬼那里好好守住了她。因为可以说确实守住了所以看起来也挺不错的,但《御伽草子》中她在被袭击时和侍女没两样。守护妻子的小丈夫是也不错啦,但基于现代的伦理观来看他到那时为止的经历还不值得称赞。
 一寸法師は子宝に恵まれなかった老夫婦が、神仏に祈って授かる子供なのですが、十数年経っても大きくならず嫁をもらうあてもなかったので、法師が自ら京の都に登って身を立てると言い出し旅に出ます。立身出世と結婚相手の獲得が目的ですから、桃太郎の鬼退治とはだいぶ趣が異なります。お椀の舟と箸の竿で川を遡って上京した法師は、小さな体を笑いものにされたりもするのですが、高貴な屋敷の主に面白がられそこで下働きとして働くことになり、主の娘だった姫と出会います。一目惚れ状態の法師はぜひ嫁にしたいと一計を案じ、姫の寝所に忍び入って姫の口の周りに持っていた米を塗りつけます。米は神仏への貢ぎ物として集めていたもので、姫がそれを盗み食いしたと芝居を打ったわけです。娘の口の周りに米を見つけた主は盗人を家に置いておけぬと、法師にどこへなりと連れて行けと押し付けてしまいました。ふたりが鬼と出会ったのは、都を出て舟に乗り、人の住まないような島に降り立ったところです。『御伽草子』ではその島を「興がる島」と書いていますが、ふたりはそこを目指して船出したわけではなく、風によって流されて到着した場所ですから、あるいはそこは「鬼ヶ島」であったのかもしれません。出会った鬼は、普通に暮らしている自分たちの領域へやってきた美女(法師は小さいので見えない)をナンパしようと思ったらとばっちりを食ってしまったというわけですね。
  一寸法师是一对未能有幸生育的老夫妇,向神佛祈愿而获赐的孩子,过了十几年没长大也没人嫁给他,他便说自己要上京都立身外出旅行去了。既然其目的正是扬名立万和找到结婚对象,说起来感觉也就和桃太郎降伏鬼的大相径庭了。以碗为舟以箸为竿逆流上了京的法师,因为他的小身板成了笑料,但被逗乐的豪宅主人给了他一份自己手下的工作做,还遇到了他的女儿即公主。一寸法师一见钟情想着一定要让她嫁给自己,于是设计潜入公主的寝室把带来的米涂到她嘴边。米本是凑起来上供神佛用的,公主便被当成是偷了米吃。在女儿嘴边发现了米的主人不让小偷留在家里,就要法师把她带到别处去。两人出城坐船,在一座似乎没人住的岛上落脚时,遇到了鬼。这座岛在《御伽草子》中被写成「怪岛」,但两人也不是奔着那里出航的,而是被风吹跑后漂到了那儿,没准那其实是「鬼岛」。遇到的鬼看上去是拐走了踏入他们平时居住的领地的美女(法师个子小没被看见),其实是要拿她作一顿美餐。
嫁を要求する異形のものたち
寻求新娘的异形们
 姫を罠に嵌めて手に入れた一寸法師はちょっとヒーロー像から遠くなりましたが、実のところ日本各地の民話にはこういった人間以外の存在が人間の嫁を得る物語がけっこうたくさんあります。一種の異類婚姻譚で、その非常に古くも有名な例のひとつが、奈良の三輪山の神である大物主の伝説です。大物主は七代孝霊天皇の娘とされるモモソヒメと結婚しましたが、昼の間しか姿を見せないため明るいところで姿を見たいとねだられ、正体である蛇の姿を見せます。しかし姫が驚いたため大物主は三輪山に隠れてしまい、姫も箸で陰部を突いて命を落として箸墓古墳に葬られたと『日本書紀』に記されています。日本各地に伝わる蛇などが女性の元に通う「妻問い婚」タイプの昔話の元になったと考えられる物語ですね。
  陷害公主的一寸法师多少背离了英雄的形象,但在日本各地的民间故事中这样非人类存在得到人类新娘的故事其实还是不少的。这种异性婚姻谭,有一个非常古老且著名的例子,是奈良三轮山山神大物主的传说。大物主和七代孝灵天皇之女百袭姬结了婚,但不在白天现身的他被要求在明亮的地方现身时,他便以蛇的姿态出现。《日本书纪》记载公主受惊后大物主就此躲进了三轮山,公主也被筷子戳到阴部而死后葬在箸墓古坟。这个故事被认为是日本各地流传的蛇等动物和女性通婚的「访妻婚」类故事的来源。
 新しい例を挙げるなら、江戸時代に作られ現代も映画等の題材になっている『南総里見八犬伝』の冒頭部もそのひとつといえます。室町時代の戦乱で城を攻められた里見家の主が、敵武将を討ち取ってきたら娘を嫁に与えると冗談で飼い犬の八房に言うと、八房はその通り敵の首級を揚げてきます。里見の娘伏姫は父に約束を違えてはならないといい、自ら八房とともに城を出ていったことが、後の因縁に繋がっていくわけです。
  举一个更近的例子,到了现代仍是电影等作品的题材的江户时代创作的《南总里见八犬传》的开头部分。在室町时代的战乱中里见家城池遭到攻打,家主开玩笑和养的狗即八房说如果八房讨伐了敌方武将就把女儿嫁过去,结果八房真取了敌人的首级。里见的女儿伏姬告诉父亲不能违约,独自和八房一起离开了城池,引出之后的种种因缘。
 約束事に縛られるパターンだけでなく、娘の親や娘自身が進んで結婚に臨むなど、さまざまなパターンがあります。『一寸法師』によく似たタイプの昔話としては、「田螺(たにし)息子」とか「蛙息子」と呼ばれるタイプの物語があって、それらはやはり子のない夫婦が神仏に祈ると身ごもったり身体に瘤ができたりして、タニシやカエルが生まれてきます。何年経っても特に大きくもならないので心配していると、嫁をもらってくると言って出かけ、村の長者などに気に入られてその家に入り込み、その娘に濡れ衣を着せて嫁にもらってくるという一連の流れが割と共通しています。その後、嫁がよく働き夫の両親の世話もよくしていると、タニシやカエルが人間の姿に変わったりします。元々神仏による授かり子なので、それも奇跡の一部というわけです。
  不只有被约定束缚的模板,还有姑娘及其亲属主动推动而得以结婚的,诸如此类各种各样的模板。有一种与《一寸法师》非常相似的故事,叫做「田螺儿子」或「青蛙儿子」,也是一对没有孩子的夫妇向神佛祈祷结果身上便长了瘤,从中生出了田螺或青蛙。多少年过去了还是没长多大因此担心起他来,他却说自己要娶亲了,村里的长者等人在意便进家里来,看见有姑娘穿着湿透的衣服嫁过来了之类如此这般一连串的流程可谓相当共通。之后,如果新娘子努力工作并照顾好公公婆婆,田螺或青蛙就会变为人类的样子。既然本就是神佛赐予的孩子,这些自然也是奇迹的一部分了。
 いろいろと要素がアレンジされてはいますが、桃太郎だって同系列の物語とする見方があります。一寸法師のように小さな主人公の物語を「小さ子」譚と分類し、そのルーツを出雲の国造り神で、大物主とも同一視される大国主のパートナー、「少彦名(スクナヒコナ)」に求める考え方も広く知られています。実際、少彦名がガガイモの実の舟に乗って出雲にやってくるところは一寸法師のお椀の舟によく似ています。桃太郎の桃もそのバリエーションで、桃に入っていた「小さ子」が成長した姿が桃太郎と考えられるわけですね。
  虽然混有各种各样的要素,但有观点认为桃太郎也是同一系列的故事。还有个广为人知的观点是将一寸法师那样主人公是小个子的故事归入「小小孩子」一类,将其根源推定为,出云造国之神、被和大物主混淆的大国主的搭档「少彦名」。事实上,少彦名以萝藦果实为舟驶向出云与一寸法师以碗做船非常相似。桃太郎的桃子也被认为是其变形,而桃太郎便是「小小孩子」进入桃子成长后的姿态了。
鬼の宝物・打ち出の小槌
鬼之宝物:万宝槌
 一寸法師は「打ち出の小槌」の力がなければ大きくなれなかったわけですが、そもそもこの小槌とはなんでしょう。現在よく知られるものには少ないのですが、古い時代に語り継がれていた民話には打ち出の小槌が登場するものがたくさんあったようです。
  虽说没有「万宝槌」之力一寸法师便无法变大,但这槌子到底是个什么呢。虽然现在鲜有人知了,但似乎有很多自古流传下来的民间故事里面都出现了万宝槌。
 打ち出の小槌についての古い記録としては、平安末期の武士・平康頼がまとめたとされる仏教の説話集『宝物集』に、人間にとってもっともありがたい宝物は何かという問答の中で、着ると姿を消すことができる『隠れ蓑』(と『隠れ傘』)とともに、望むものをなんでも出してくれる『打ち出の小槌』が挙げられています。平康頼は平清盛の頃に平家の家人だった武士ですが、平姓は与えられたもので源氏側に肩入れしていた人物です。平家打倒の密議に参加したことが露見して薩摩国の鬼界ヶ島に流刑となっており、そこで出家して僧となりました。清盛による赦免で京に戻った後、『宝物集』を著したとされています。そんな康頼の来歴は主に『平家物語』にありますが、『平家物語』には打ち出の小槌が鬼の持ち物として広く知られていたと読み取れる記述もあります。『平家物語』は鎌倉時代に成立した軍記物語ですが、以降「隠れ蓑」「隠れ笠」「打ち出の小槌」が鬼の持つ宝物として広く浸透していったことにも影響しているのかもしれません。
  很久以前就记录了万宝槌的,是平安时代末期由武士:平康赖编集的佛教说话集《宝物集》,在关于人类贪求着什么宝物的问答中,除了披上就能消去身姿的『隐身蓑』(和『隐身伞』)之外,还举了一个予取予求的『万宝槌』的例子。平康赖是在平清盛掌权时成了平家家臣的武士,被赐予平姓却支持源氏一方。参与推翻平家的密谈却暴露结果被流放至萨摩国的鬼界岛,在那儿出家做了僧人。据说他在被清盛赦免后回到京都,写了《宝物集》。康赖的这番来历主要记载于《平家物语》,但《平家物语》中还有记述被解读为万宝槌作为鬼的道具广为人知了。《平家物语》是镰仓时代作成的军记故事,但或许在「隐身蓑」「隐身笠」和「万宝槌」从这时期开始被当作鬼的宝物广泛地渗透进了民间的过程中《平家物语》也曾发挥影响。
 また打ち出の小槌は七福神に数えられる大黒様の持ち物としても有名です。いかにも福の神らしい持ち物ではありますが、大黒様の元を辿っていくと仏教の護法神である大黒天で、これはインドの破壊神シヴァを別名のひとつマハーカーラ(大いなる暗黒)として仏教が取り入れたものです。戦の神とされることが多いのですが、日本に伝わったのは密教の思想からチベットやネパールで財宝神として信仰された側面が強いものでした。マハーカーラの姿として三つの顔と六本の腕が描写されることが多いのですが、日本では他の二つの顔を毘沙門天と弁財天が合体した姿と解釈しました。毘沙門天の原形はインドの財宝神クベーラ、弁財天は元々「弁才天」と訳された技芸の女神サラスヴァティをルーツとししていますが、やはり日本では財宝神として信仰され「財」の字に置き換えられることが多くなったのにも、この「三面大黒」が天台宗によって日本にもたらされたことが影響していると思われます。さらに時代が下って江戸時代には、「だいこく」とも読める大国主と合体し、大黒様のイメージが作られていったと考えられています。シヴァも大黒天も「鎚」を持ってはいないのですが、大黒様になってから打ち出の小槌を持った姿がイメージされるようになります。財宝を生み出す大黒様像を穴に転げ落ちたおむすび(あるいは団子)の代わりに手に入れる『おむすびころりん』によく似た『地蔵浄土』という昔話も、そんな歴史的な背景の上で発展したものでしょう。
  还有一柄有名的万宝槌属于被计入七福神的大黑。怎么看都像是福神用的,但追根究底大黑本是佛教护法大黑天,是佛教借用印度破坏神湿婆的别名摩诃迦罗(伟大的黑暗)所作。大黑天多被视为战神,但传到了日本的是基于密教思想的在西藏和尼泊尔其财神方面被侧重了的信仰。摩诃迦罗的姿态多被描写成三面六臂,但在日本另两张脸被解释为是和毗沙门天及弁财天合体所得的。毗沙门天的原型是印度财神俱毗罗,弁财天则源于被译作「弁才天」的技艺女神萨拉斯瓦蒂,但我想在日本她应该还是多被当作财神来信仰因此连「财」字都给换上了,而这个「三面大黑」则是在日本受过天台宗的影响。再到江户时代,和也读作「daigoku」的大国主合体,大黑的形象才被制作出来。湿婆和大黑天都不拿「槌」,但在变成大黑后就被想象为拿着万宝槌的造型了。 与讲的是把饭团(或者是丸子)掉进了洞穴结果反过来收到了生财的大黑雕像的故事《老鼠与饭团》相似的故事《地藏净土》也是在这样的历史背景下发展起来的吧。
 打ち出の小槌が出てくる昔話には、水の神に木材などを捧げると、竜宮からのお礼としてもたらされるパターンも九州や四国などによく残されています。同様のパターンで中部地方などには小槌の名が「延命小槌」と呼ばれていたり、竜宮から来たのが小僧や犬、亀などに変わったバリエーションがあるのですが、願ったものがなんでも出てくるところは打ち出の小槌とほぼ変わらないようです。打ち出の小槌を遣う程度の能力を持つ少名針妙丸は一寸法師の末裔ですが、一族が伝えていた「小槌を使い過ぎてはいけない」という教えは、正しくこれら昔話に描かれている教訓と同じものなのです。
  在出现了万宝槌的传说中,九州和四国保留了不少向水神供上木材、从龙宫得到礼物的模板。同样的模板下中部地区等地有将小槌称为「延命小槌」的变形,从龙宫来的则成了小和尚、狗以及乌龟,不过万宝槌有求必应这件事好像几乎没变。拥有使用万宝槌程度的能力的少名针妙丸是一寸法师的后裔,但其一族所传的教训「不要过度使用小槌」,正是和这些故事里描写的教训一样的。