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东方外来韦编/2021 Spring!/数字访谈

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  • 该内容于杂志中页数:024-030
  • 翻译:


「目指すのは究極のオリジナル」
ZUN25周年を語る——!
“目标是究极的原创”
ZUN谈25周年——!
四半世紀を超えて展開する東方Projectを作者のZUN氏とともに振り返るインタビュー。
自作と、自分の制作スタイルについて思い入れたっぷりに語る内容となっている。
和展开逾四分之一世纪的东方Project的作者ZUN一同回顾的访谈。
用心地放开地谈自己的作品,以及自己的制作风格。
——
今回は東方Project25周年を記念する特集ということで、数にまつわる話をおうかがいしつつ、これまでとこれからを俯瞰するようなお話をおうかがいできればと思います。よろしくお願いいたします。
本次是东方Project25周年的纪念特辑,准备谈的我想一个是各种数字的结算,可能的话还想请教请教您如何审视继往开来的活动。请多指教。
ZUN
よくインタビューで「どれくらいの数の作品を作って来たんですか」って間かれることはありますけど、実際には自分ではぜんぜん把握していないんですよね(笑)。今作ってるのが何作品目なのかも、特に考えたりはしないですし。もちろん、ナンバリングタイトルはわかってやってるんですが、じゃあ卜ータルで何作出たのかはわかってないですね。
我在采访中常被问及“做了多少个作品”,但我自己都没把握(笑)。我不会特地去想什么,这次做的是第几号作品。当然,我知道给标题编号,但到底是第几个作品就不知道了。
作品数について
关于作品数量
——
まず、その作品数についてからおぅかがいしていきたいと思います。このインタビューのまさに前日(2021年2月27日)に、最新作『東方虹龍洞 ~ Unconnected Marketeers.』を発表されましたよね。それと、完成版は現時点ではまだ出ていませんが『東方剛欲異聞 ~ 水没した沈愁地獄』を含めると30作品となります。
首先,我想先谈谈作品数量。这次访谈的正好前一天(2021年2月27日),最新一作《东方虹龙洞 ~ Unconnected Marketeers.》被公布了。加上它以及成品还没出来的《东方刚欲异闻 ~ 被水淹没的沉愁地狱》,就有30部作品了。
ZUN
今回の特集には入れられないだろうなあと思いながら発表しちゃいました(笑)。あれ、そんな切りのいい数字だつたんだ。本当に僕が開発したやつですか?
我公布时还想着这次特辑不会算上它吧(笑)。结果,是这么正好的一个数字啊。真的都是我开发的吗?
——
ZUNさん単独開発のものに、黄昏フロンティアさんとの共同開発を入れての数字ですね。
这个数字把ZUN先生独自开发的,以及和黄昏边境共同开发的都算进去了。
ZUN
新作がまさかの記念タイトルだつたとは。ずいぶん作って来たねえ。そんなに急いだってたくさん出せるものじゃないから、時間は確実にかかってるけどね。
原来是有纪念价值的新作啊。做了好多呢。不是能赶出来的东西,确实要花时间的。
——
そもそも、こんなに一つのシリーズが継続しませんよ。
说到底,难以将一个系列延续这么久啊。
ZUN
確かに、ゲームのタイトルとしてはあまり聞いたことが無いかもしれない。もちろん、「ドラクエ」みたいな長寿タイトルになってくると外伝とか派生作品がたくさん出しているから、そういうものに近い感覚かもしれない。
确实,很少听到游戏系列像这样的。当然,《勇者斗恶龙》那样长寿的作品就会有很多外传啊支线作品啊,没准会觉得像。
——
同じくらいの年月展開しているIPでは『ポケッ卜モンスター』シリーズが挙げられます。
首发年月差不多的IP可以举出《精灵宝可梦》系列这个例子。
ZUN
そうかあ。僕は大学生になっていたからぜんぜん遊ぶ機会を逃したままなんですよね。ゲームボーイにあまり触れないタイミングだったから。
这样啊。我那时刚上大学结果正好完全错过了游玩的机会。从此没什么机会接触到GAME BOY了。
——
ちなみにZUNさんのみで開発したタイトルでも23本なので、1年に1本に近い個人でゲームを制作しているべースになります。でも黄昏さんとの共伺作品だって相当量携わってらっしゃるので、そこを含めると年1を上回るぺースです。
总之只由ZUN先生开发的作品有23部,作为基础来说大约1年有1部。不过您在与黄昏合作的作品中工作量也挺不少,总的算来每年开发的就不止1部了。
ZUN
あの手のゲームを作るのには1年かからないので、年1ぺースで作るのはそんなに不思議ではないかもしれない。でもそれは、制作するゲームの規模をある程度固定化しているからであって、それ以上になってくるとそれこそ「構想2年、開発3か月」みたいな感じになってくる。
做个这种游戏用不了1年,每年至少做1部或许没那么不可思议。不过,这是因为固定了制作的游戏的规模,再往上感觉就要“构想个2年、开发3个月”了。
——
後ろがなんかおかしくないです?(笑)
后半句好像有哪里不对劲吧?(笑)
ZUN
開発が長いのは微妙なんですよね。個人で作る場合の哲学かもしれないけど、開発が長引くと絶対にダレるので熱量があるうちに作り切らないといけない。逆に言うと、作り切れるレベルのボリュームでゲームを考えないと、いろいろもたないんです。
开发时间长这一点有些微妙。这可能只是个人制作游戏的哲学,但冗长的开发时间绝对会导致精神的松懈所以必须趁还有制作热情时完工。反过来说,构思游戏时如果没先规划好能力范围内的工作量,各方面都会难以为继。
——
企業での開発だったら凍結されちゃいそうですよね。
如果是企业开发的可能都要冻结了。
ZUN
企業の場合は「仕方が無い」っていう理屈が働くんですよね。その原動力はお金で、「もう開発費を使ってしまったから」、開発陣から熱量が無くなってしまってもがむしゃらに働かせたり別の作品に作り変えたり、助っ人を追加投入したりしてなんとか作り続けてどうにか完成させるんです。お金を使っちゃってると出さないわけにはいかなくなってくるんですよね。でもそういうのは規模の大きいゲームの話で。個人で制作する場合はお金が原動力じゃない場合の方が多いので、難しいんです。
企业反倒还有“事已至此”这个理由来当借口。企业的原动力是金钱,“既然已经为开发投了资”,即便开发阵营丧失了热情也能强迫他们蛮干啦或是变道开发成别的游戏啦,以及再请外援来等等直到拿出点什么来交差。钱已经花出去了就必须拿出个结果来。不过那是说大体量游戏。个人制作游戏的话往往原动力并非金钱,很难这么做。
——
無理な規模アップをしないと。
也就是说不应贸然增大体量。
ZUN
しない。僕はある意味でそれを一番大事にしていると言ってもいいかもしれない。「開発することを続ける」ためには必須なんですよね。ただ、ゲームにとってそれがいいかどうかはまた別の問題なわけで。作品自体はもっと大きいものにしていった方がいい可能性もあるわけで。
是的。这可能是我最注重的了。为了“坚持开发”这是必须的。不过,对游戏而言这样是不是好事就是另一个问题了。毕竟作品本身可能还是把规模做到更大了才好。
——
「良いかどうか」「どうしたいか」といった、いくつか考え方の柱となるべきものがあると思うのですが、その中で何を選択していくか、ですよね。
比如“这样就好了吗”“想做的是什么”,我想,应该基于这样的一些核心观点来思考,但要从中选择。
ZUN
そう、それも「何に対して良いか」だったりするし、作る人や作るゲームの種類によって変わってくるんです。やっぱり「作るのが楽しい」っていう感覚を忘れると作れなくなりますよ。「作らなきゃいけない」になるとだいぶ苦痛になってきて、「なんで作ってるんだろう?」っていう心境になったら、ぞれはもう作るのはやめたほうがいいんですよね。
是的,还有像是“对什么而言是好的”,答案要看作者和游戏类别而定。不过要是忘记了“创作是快乐的”这样的感觉就没法做下去了。“不得不做”时会相当痛苦的,一旦开始思考“我为什么在做这个来着?”的话,最好就别再继续下去了。
——
それは確かに。
确实。
ZUN
だから作るのが苦痛になった段階で、一度考え直さなきゃいけないね。
所以一旦开始觉得创作是痛苦的,就必须反省一遍了。
——
ZUNさんご自身は、これまででそういう瞬間ってあったんでしょうか?
ZUN先生您自己呢,至今有过这种瞬间吗?
ZUN
もちろん僕だってマスターアップ寸前はいつもすごい苦痛ですよ。その時期は本当に「なんで作ってるんだろう……」って(笑)。でも、完成した瞬間にそういう苦痛からすべて解放されて快感がある。それが忘れられないんですよね。マラソン選手のランナーズハイに近いやつかもしれない。ちょっとね、苦しいぐらいが快感なんですよ。それを越えちゃうと本当に苦痛になってしまう。「なんのために作ってるんだろう」「作ってもだれにも遊んでもらえない」っていう気持ちを抱えるのはつらいだろうし。
当然了,每一次正式版即将完成时我都是很痛苦的。那个时期真的会想什么“我到底为什么在做这玩意……”(笑)。不过,在完成那一瞬间会有着从痛苦中完全解放的快感。那种感觉令人难以忘记。可能类似于马拉松选手的跑者高潮。就算是苦,也可以是快感。但超过剂量就真是痛苦了。因为抱着“我做这个是图些什么呢”“即便做出来也没人玩”这样的心情是很不好受的。
——
自分にとっての楽しさとか、作る理由をどうやって担保していくか。もしくは楽しさが先か理由が先かみたいな。
您是怎么确保对自己而言是否快乐,以及创作的理由的。或者说像是快乐和理由哪个优先。
ZUN
やっぱり開発することが目的になっているんですよね。そういうことをよく考えながら作るようになりました。だいぶ年を取ってきたからねえ(笑)。年を取ると「なんで作ってるんだろう?」が真っ先にきちゃうんですよ。
其实开发本身就是理由啊。我应该是这样好好想过了再创作的。果然是上了年纪(笑)。年纪大了就会先去想“为什么要去做?”来着。
——
タイミング的には、これまでの自分を一歩引いた視点から見直す時期になってきているんじゃないでしょうか。
现如今,会不会抽身审视至今为止自己的人生轨迹了呢。
ZUN
そうですね。もしかしてゲーム会社に勤務し続けていたら開発は若手にまかせて、自分はプロデュースする立場になっていたかもしれないのに、いまだにプログラム書いてドット絵描いて音楽作ってと何から何まで全部やっているわけですから。一番若手がやることをガンガンやっている。むしろそこが一番楽しいと思ってやっているし、それがやりたいから開発しているようなもんなんです。絵に飽きたらプログラムする、プログラムに飽きたら音楽を作る、音楽に飽きたら絵を描く、そんなんで作れちゃいますからね。
是的。我要是坚持在游戏公司上班,现在可能就以制作人的立场把开发都交给年轻人去做了,但现在我可是写程序画点绘做音乐从头到尾什么都做。这些给最年轻的人做的结果我自己倒做得起劲。我想或许这才是最有意思的,我大概是想做那些所以一直开发。于是画画腻了就编程,编程腻了就作曲,作曲腻了就画画,是这样创作的。
——
ZUNさんが誰かに言っていた話だと思うのですが、開発が大人数になればその分だけ歓びが分散されると。それなら全部自分でやれば、喜びは全部自分のものになる、それがいいんだと。
我记得ZUN先生似乎对谁大约这么说过,开发人数多了后喜悦也就按人头给分摊了。于是,全都自己来做,好让喜悦全归自己。
ZUN
幸せ。もちろん一人でやることが一番の理想というわけではなくて、一人でやればその分だけ制約かすごく多くなるわけです。まず、作れるゲームが限られてくる。ほとんどのゲームは一人で作られていないから、他にあるような、みんなが望んでいるようなゲームは作れない。そしてそういうことを犠牲にしてでも、開発の楽しさを取るのだったら少人数でやるのがいいのかなと思うんです。
幸福啊。当然不是说一个人做是最理想的状态,一个人做就意味着会因此受到大量限制。首先,能做的游戏类型就被限制了。绝大多数游戏不是一个人能做的,而那些万众瞩目的游戏,也是做不了的。即使要如此牺牲,但我想为了获得开发的乐趣才由少数几个人来开发就好了。
——
黄昏フロンティアさんのような立場の方が現れることによって、自分ではやらないようなことに関われる場ができたことは心の平穏とか気分転換にはよかったのかもしれませんね。
黄昏边境这样立场的各位出现,您得以着手于自己之前不会做的事这点或许对您情绪的稳定调整也有帮助呢。
ZUN
そうですね。格關ゲームは作ってみたいけれど自分では作らない、作れない。とてもじゃないけどあの規模はね。まず絵のデータだけでも多すぎる。そうすると一人では難しいものね。
是的。我也想自己一个人开发格斗游戏,但是一个人做不出来。不是完全做不了但毕竟上了那个规模。首先光是画面的数据就太多。一个人做就太难了。
キャラクターの数について
关于角色数量
——
絵の話が出たのでキャラクターの数について話を移していこうと思います。
既然提到了画画就来谈谈角色数量吧。
ZUN
今どれくらいの数のキャラがいるんですか?
现在大概有多少个角色了?
——
今回は通常の雑魚キャラ……妖精、幽盤、降ってくる岩など一般性のあるものを除いた中ボス以上に絞りました。
这次不包括普通的杂兵……即妖精、幽灵、落石那样大同小异的事物而是从道中头目开始算的。
ZUN
だいたいは想像できるというか計算できる気はするよね。1ゲームにつき6〜7、多くて8とかだから……それが10いくつで……120くらいいる?
大约能想象所以感觉应该算得出来。一个游戏配六七个角色,多就八个所以……有几部上了十个……大约有120个吧?
——
158です。
有158个。
ZUN
えっ、そんなに? 100を超えたくらいかなとか思ってたのに。ああでもゲームに出ていないキャラもけっこういるしなあ。
诶,那么多?我还想着应该刚过100。啊不过也创作了不少没在游戏出场的角色呢。
——
漫画が初出のキャラは10人くらいですね。
大约有10个角色是在漫画首次登场的。
ZUN
いやあ、それだけいたらもう憶えきれないね。誰の話だったか忘れてしまったけど、海外の有名なインディーゲーム制作者だったかが「Wikipediaがすごく助かる。開発者もプロデューサーもそれを見てる」っていうようなことを言っていたんだけど、僕もまさにそれと同じ状態(笑)。そういうのを見ないと自分で間違えかねないならね。
啊,多到这个地步就真做不到都记住了。忘了是谁说的,一个在海外有名的独立游戏制作者说了“Wikipedia很有帮助的。开发者和制作人都会去看”这样的话,我也是那种状态啊(笑)。不看看那种东西的话自己也会搞错的。
——
おっしゃる通り、ナンバリングタイトルは全6ステージ+Extraで7キャラずつが標準といえばそうなんですが、なんだかんだでそれ以上に膨らんでます。忘れるという話が出ましたが「こいつだけは忘れない」というのってありますか?
诚如所言,如果说编号作品都以六个关卡加上Extra一共配七个角色为标准的话就是会那样,但这样那样的都加上之后数字就膨大了。说到遗忘的话有没有“只有这家伙我忘不了”这样的角色呢?
ZUN
そりゃあ主人公とかは忘れませんけどね(笑)。まあ、細かい設定とかを忘れちゃうことは多いんですけど、キャラ自体を忘れることは無いんですよ。ゲームのステージと結びついているので「あの作品の〇面のボス」っていう覚え方をしているんです。そういう意味ではあまり忘れてはいないかな。
要说的话主人公之类是忘不了的(笑)。不过,细微设定大概是忘了很多,但角色本身是忘不了的。我是结合游戏的关卡按“某个作品第〇关头目”来记忆的。这样算就没怎么忘记角色了。
——
そういう情報はセッ卜で憶えますものね。
这种信息都是打包记忆的。
ZUN
そうそう。キャラクターに付随する属性よりも、ゲームに出てくる状態で覚えてますから。開発者目線ではあるかもしれないけれど。
是的是的。比起给角色附加的属性,优先记住其在游戏里登场的状态。开发者的视角没准是这样的。
——
ゲームをプレイしている側的にもほぼ同様だと思いますね。「あの面はあの弾幕で苦しめられた」とか「この曲がかっこよかった」とかで一緒に覚えますから。
我想玩家方面大约也是这样的。是和“那一面的那个弹幕打得很辛苦”还有“这支曲子很不错”这些一起记住的。
ZUN
確かに、ゲームをプレイしている人は覚えやすいかもしれないですね。それでも影の薄いキャラはいそうだけど。1面、2面あたりのキャラの影が薄くなるのは当然で、どうしても弱いからね。
确实,玩家可能容易记住这些。但即使如此也会有印象薄弱的角色。第1、2关的角色当然会如此,毕竟都很弱。
——
2面のボスはス卜ーリーにかかわりが無い事が多いのも拍車をかけそうです。
第2关的头目多半和故事没关系这点也落井下石了吧。
ZUN
わかる。2面はだいたいおまけなんだよね。3面は体験版の最終ステージっていう意味でも印象深いし難易度も上がるから残りやすいんだけど、2面はさらっと流されちゃうんだよね。でもそれくらいの緩急は大事だと思っていて。全部が全部へビーな内容だと本当の大ボスが霞んじゃう、印象に残らなくなっちゃいますから。
是的。第2关大体上算是附送的。第3关的是体验版的最终头目因此为了强化印象会提升难度于是容易记住,但第2关打过了就打过了。不过我想这样的节奏是重要的。因为要是内容全都很沉重的话等真正的大头目出来了,也留不下什么印象吧。
——
確かに。
确实。
ZUN
まあでもうっかりするとキャラの名字とか下の名前とかは忘れちゃうんですよね、ゲームのほう優先で覚えているから「あのゲームのあそこで出て来たあの妖怪」みたいな感じになる。だから僕じゃない別の誰かがそういう情報をまとめてくれた同人グッズとかも有難く使わせてもらってます(笑)。
不过还是一不小心就会忘记角色的姓啊名啊的,优先记忆游戏所以大约会记成“那个游戏的那里出现的那个妖怪”。所以多亏有我之外的人们通过同人周边之类的来整理信息给我用(笑)。
作曲·発表した曲の数
作曲、发布曲目的数量
——
音楽もいっぱい作ってきましたね。
音乐也创作了很多啊。
ZUN
音楽のほうが全然数が多いんじゃない? そういえばつい最近別の所で聞いたんですけど500くらいあるとか? 本当にある?そんなに作ってないと思うんですけど。
音乐的话应该要多得多吧?说起来最近虽然是从别处听到的不过说我大约有500首了?真的吗?我觉得没写那么多啊。
——
数え方次第という部分もあるんですが、今回の特集における数え方でも500を超えています。
计算方法也是一部分原因,但按这次特辑的来算也是超过500首了。
ZUN
音楽CDのものも入れてるのかな?
音乐CD的也算进去了?
——
もちろんです。音楽CDのうち、ZUN's Music CollectionのCDが「未知の花、魅知の旅」も含めて10枚、曲数で言うとちょうど100曲です
当然的。音乐CD里,有ZUN's Music Collection包括《未知之花,魅知之旅》的10张CD,按曲数来说大约是100首。
ZUN
「幺樂団」のやつは?
《幺乐团》那些呢?
——
そちらは5枚で110曲という換算になりますね。この場でおうかがいするのもあれなのですが、「幺樂団の歴史」シリーズに収録されている楽曲と「東方怪綺談」のMusic Roomで聴ける旧作全部の楽曲って、CD化に際して調整加えているという認識であってますか?
那些算作5张一共110首。我这边也恭听过了,《幺乐团的历史》系列收录的乐曲和在《东方怪绮谈》的音乐室听的所有旧作乐曲相比,制成CD时是又调整过了的吧?
ZUN
そういえば「怪綺談」のMusic Roomには未使用曲も入ってるんですよね。そこまで含めて「幺樂団」のCDに入れていて……うーん、さすがに古すぎてほとんど記憶が残ってないけれど、調整はしてると思うなあ。
那样说的话《怪绮谈》的音乐室里还有没用上的曲子呢。《幺乐团》CD把那些都包含了……嗯,这些是太久以前几乎记不起来的事了,但我想是调整过了的。
——
ほかには漫画単行本の付録を全部カウントに入れると33曲。
再者有漫画单行本附带的共计33首。
ZUN
通常のゲームは曲数がほぼ固定ですからね。道中とボスで7ステージ分だから14曲、それにエンディングで2曲、タイトルで1曲のトータル17曲が多いかな。ここから増える要素がほぼないというか、この数でスケジュールが組まれてるんです。
游戏的曲数通常是大致固定的。道中和关底一共七个关卡所以是14首,加上结局的两首,标题的一首所以大多一共是17首。基本不再加什么要素,按这个数字来安排日程。
——
「プレイヤーズスコア」は完全に同じものが使われていたり、アレンジ版が使われていたりしますよね。
“Player's Score”那里曲子或者是和以前完全一样的,或者是改编版的。
ZUN
ゲームオーバーになったときに流れる曲は、同じでいいかなと思っているんです。そうしたら曲を聞いた時に「あ、終わりになったな」ってわかりやすいからね。どちらかというと僕の中では音楽というよりは効果音、ジングルの扱いなんです。長いゲームオーバー効果音。
我大概也想过,维持游戏结束时放的曲子不变是否比较好。因为不变的话听到时就能容易地理解“啊,游戏结束了”。非要说的话我自己是把这些当作音效、提示音而非音乐的。比较长的游戏结束时的音效。
——
今の話は自分の作品向けに書いた曲の話で、ZUNとして楽曲提供しているものが39ほど。あと上海アリス幻樂団のホームぺージでのみ発表しているものが6曲あります。
刚才是说为自己的作品写的曲子,作为ZUN单独提供的乐曲有39首。然后只在上海爱丽丝幻乐团主页发表的有6首。
ZUN
これも意外と多いね。マニアックな提供先で言うと「神魔討綺伝」(D.N.A.Sotwares)とかかなあ。「パチュリーの曲のアレンジで」って言われたから作ったけど、今聴いたら全然アレンジに聴こえなかった(笑)。あれ、それで結局全部数えるとどうだった?
这些也意外地多。冷门的供曲就有比如《神魔讨绮传》(D.N.A.Sotwares)的。说是说“把帕秋莉的曲子改编一下”来创作的,可现在来听完全听不出是改编(笑)。那个,结果最终数字加起来是多少首啊?
——
549ですね。
有549首。
ZUN
前に言われた時も「そんなにあるかなあ?」と思ったもんだけど、あるんだね(笑)。
刚才说到的时候我还想着“会有那么多吗?”,还真有啊(笑)。
——
「幺樂団」のあたりでおうかがいした通り、音源が近いものを別で数えるか同じとするかみたいな問題があるんですが、ZUNさんがゲーム用の曲をCDに収録する際って、基本的に調整を加えるじゃないですか。なのでアレンジ版……別ハージョンとして扱っています。
刚才谈《幺乐团》时也提过了,是否分开计算音源相近的曲子是个问题,但ZUN先生在将游戏用曲收录进CD时,基本上是不再调整了的吧。因此改编版……就算作另一份了。
ZUN
なるほどねえ。結構な数だなあ、500超えてたとは……。1曲作るのに1日かかったとしても、休みなしに作り通しで1年半? あれ、それだとわりとすぐだな?(笑)
原来如此。不得了的数量啊,超过500首……。算写1首要花1天,不休息也要用上一年半?啊,这么想就用不了多久吧?(笑)
自分の代表作とは?
自己的代表作是?
僕の代表作は東方だけど
「代表的な東方」はと聞かれても
ちょっとわからない
即使说自己的代表作就是东方
被问及“代表性的东方作品”时
也有些想不出来
——
今、東方Projectを全く知らない人がいたとしてその人に「これが自分の代表的な〇〇です」って紹介するときに何を選ぶか、とか考えたことあります?
现在,向对东方Project一无所知的人介绍说“这个XX是我的代表作”的话会选哪个,您有想过吗?
ZUN
無いねえ。「僕の代表的な作品は『東方』です」っていうことは自信を持って言えるけど、「代表的な東方は?」って言われてもわからないというか答えようがないかな。全部が東方だからね。しいていえば一番新しいものかな。わざわざ古いものを、それこそ旧作とかを持ち出して来てこれが代表作ですとは言わない。
没想过。我能自信地说“我的代表作是《东方》”,但说到“有代表性的东方作品是?”的话我也有些想不出来答不上来了。毕竟全部都是东方。非要说那就是最新那一部。我不会特意去拿老作品,特别是旧作之类的出来说是代表作。
——
曲だったらどうですか? 「この曲が一番僕が書いた曲っぽいです」というものを挙げるとして。
曲子的话如何?比如说要以“这首曲子最像是我会写出来的曲子”为例的话。
ZUN
難しいなあ……。いわゆるメインテーマは毎回同じフレーズを使っていて、あれが一番東方っぽいかなあという気はします。いろいろな曲に使うんですよ。ステージ道中やボスの曲にフレーズとして入れ込んだりすると、なんとなく東方っぽい感じになる。あのシンプルなフレーズが僕の中ではすごく気に入っているんですね。
难说啊……。所谓的主旋律是每次都用着一样的乐句,我想那个是最有东方风格的。各种各样的曲子里都会用到。作为乐句放进关卡道中和头目的曲子里,不知为何就是觉得像东方了。那个简单的乐句我是非常喜欢的。
——
タイ卜ル画面でかかっているあのフレーズですね。ぞういえば以前の号(で音楽の特集をした際にむ近い話がありました(※「東方外來韋編弐」収録、あきやまうに氏との対談)。
是给标题画面配的那个乐句啊。说起来在之前某期谈音乐的特辑时也有过类似的说法(※《东方外来韦编贰》收录的,和あきやまうに的对谈)。
ZUN
あの曲、4分の4拍子じゃなくてすごく独特なんですが、それを普通の4拍子の曲にガンガン入れ込んでいくのが東方っぽいのかなって。だからメインの曲っていうのはあまりないんだけれど。もちろんファンによる人気投票みたいなのだったらボスのテーマとかが人気になってくるけど、そういう場所は落ち着いた曲だったり環境っぽい曲だったら駄目だからそうなってるわけだし。歌を歌っているアーティストじゃあないから、「この1本があればすごく場が盛り上がる」っていうものがあるわけじゃなくて、どちらかというといろいろな人が二次創作してくれる中で、それぞれが代表曲があるじゃないですか、このサークルだったらこの曲みたいな。そういう有名サークルの有名な曲も元はと言えばぼくが作ったということになるので、みんなの代表曲を少しずつ持ち寄って「これが東方です」って(笑)。
那首曲子,不是4/4拍所以挺独特的,但却被大量用于普通的4拍子的曲子里这点很东方。虽然往往没被当作主题曲。当然如果由爱好者们来搞人气投票之类的东西更有人气的会是头目的主题曲之类的,而那些个平静的像是在描述环境的曲子可能就比不上吧。我不是歌唱家,所以不会说什么“有这一首就足以镇场子了之类的话”,非要说的话在被各种各样的人二次创作时,不是会说有什么代表作吗,因为是这个社团的所以就会像这首曲子。反过来说那些有名社团的名曲真说起来本来也算是我写的,那就强行带上大家的代表作一起说“这就是东方”吧(笑)。
——
なるほど(笑)。
原来如此(笑)。
ZUN
音楽メインでやっているわけではないので、そういう見せ方の感覚はあまりないというか、ちょっと違うんですよね。まあ本当にゲームがメインかっていうと言いづらい感じもありますけれど。いったい何の活動してるんだかっていう。ゲームを中心に、それらを取り卷く面白いもの、という捉え方をしてもらったらいいのかなと思うです。別に「ゲーム以外のすべてはノイズである」みたいな考え方はしていない。ゲーム好きな人の中にはそういう考えの人もごくまれにいるけれどね。最終的には数値と記号だけでいい、みたいな。そういう人には東方は向かないがもしれないね。
我并非音乐业者,不太有他们那样的看法,也确实是有点不同。不过感觉也不好说是以游戏为主业的。说起来我到底是做什么的呢。以游戏为中心的,有趣的事物,我想这么评价会比较好吧。我不会觉得什么“游戏之外的都是多余的”。游戏爱好者里偶尔也会有那种人。最后可能变得像是,只要有数字和符号就好了。那种人大概不会是东方所面向的群体。
25年の「変化」
25年的“变化”
プログラムで動かすことは
今でもすごく興奮します
みんなにも味わって欲しい
通过程序动起来的事物
现在也为之兴奋
想让大家也尝尝滋味
——
少し話を大きなところに戻すのですが、開発を始めてから25年が経ち、作り始めた学生の時には25年後にもまだ東方を作っているとは思ってなかったと思うんですよ。ここまでの人生でいろいろなことを経験して、最初に制作を始めた時の動機と、今の動機は別のものになっていると思うんです。そういう成長を経ていく中でクリエイターとして変わった部分、もしくはここだけは変わっていない、というような事ってあるでしょうか。
回到更大的话题上,开发至今有25年了,在开始创作的学生时期是想不到25年后还是在创作东方的吧。人生到现在经历了各种各样的事,最初开始创作时的动机,到现在已经变成不一样的创作动机了吧。经历着所谓的的成长,作为创作者哪里变了以及只有哪里没变,是有这种事的吧。
ZUN
それはもういろいろと変わりまくっていて、昔から変わっていないと思える部分は少ないですね。変わっていないのは、プログラムをしていて楽しい時。「あっ、キャラクターが動いた!」「敵の攻撃が出てきた!」っていうのがすごく楽しいのは変わっていないです。でも、それ以外はほぼ違っていると言っていいでしょうね。
各种各样的都变了,一直没变的部分才是少数。没变的是,编程时会开心。说着“啊,角色动起来了!”“敌人发出攻击了!”就会很开心这点是没变的。不过,应该说除此之外的基本上都变了吧。
——
それって、今でも新作の開発中に敵が弾幕を出したりしたら楽しいものなんでしょうか?
那么,现在也会在开发中为了敌人发出弹幕而开心吧?
ZUN
もちろん今も楽しいね。その動かすっていう部分を開発の一番最後の楽しみの部分に取っておいて、それ以外のデータをまず用意するっていうスタイルなんです。最後に必死になって動かすけど、それが一番楽しいところ。
现在当然也会。动起来这部分可是开发这件事最后最后的乐趣了,其他数据都是为此准备的了。最后死活一定要使之动起来,这里是最有趣的。
——
東方は作り手として本当に楽しみながら創られているゲームなんですね。
东方是作者本人真的在享受着才做得出来的游戏。
ZUN
作り手がみんなこうとは限らないけど、たぶん作り手が楽しんでいないゲームはプレイヤーも遊んで楽しくないことのほうが多いんじゃないかって思います。言い過ぎかな? ガッチリ計算で作られた結果ユーザーが楽しいゲームもあるのかも。でもゲームの根本は、描いた絵が動いて、それが当たり判定を持って、ルールができて、そのルールを回避しようとした瞬間が楽しいんだと思うんですよ。
不能保证所有作者都这样,但对于作者不高兴地创作着的游戏玩家大多也不会玩得高兴吧。我说太过了?也有游戏是一步步组装计算好了而用户因此高兴的。不过我想游戏本质上是,让画的画动起来,有判定范围,遵循规则,再在好似回避了这些规则的瞬间中有趣的。
——
なるほど、その部分は変えたくないことでもあると。では、変えたいと思っていることってありますか?
原来如此,是也有这种不想变的部分。那么,有没有什么是您想着要改变的呢?
ZUN
あとは変わっちゃってるからねえ。作っていて楽しさが感じられなくなったら引退だろうなとは思うんですよ。さっきも言ったけれど、何が楽しいのかわからないんじゃ作ってられなくなっちゃいますからね。ただ、楽しい部分っていうのはプレイヤー、ユーザーと必ずしも共有できる部分では無いじゃないですか。だから僕は作ってて楽しくても、遊ぶ人が楽しくなくなる可能性はあるよね。いわゆる「ズレ」なんだけれど、ゲーム制作のかなりプリミティブな部分で楽しんでいるので。
接着是变了的。其实也会想着要是不再觉得创作有趣了就引退吧。刚才也说了,搞不懂哪里有趣了就别再创作了。不过,有趣的部分也不一定就得是和玩家、用户共有的吧。所以我创作得开心,玩家也不一定就玩得开心。这就是所谓的“差异”吧,但我是在游戏制作很原始的部分中开心的。
——
動かす部分ですね。
是动起来的部分。
ZUN
そう、動くっていうだけでかなり興奮するんですよね。その感覚はみんなにも味わってほしいと思っています。でも今はゲーム制作のアシストツールがものすごく便利になっていて、例えばキャラクターを歩かせることなんて当たり前にすぐできるくらいになっているけれど、そこに至るまで自分で作ってみたら相当感動すると思うんですよ。「自分で作ったモデルが動いてる!」「攻撃してる!」「敵の攻擊でやられて倒れてる!」っていうところまでできたら本当に楽しいんです。そういう努力とその努力が報われた結果としての感動をすっとばしてしまうと、うわべだけのゲームになってしまうんじゃないかっていう危惧はあるし、開発者としての楽しみはそういう便利なツールに奪われているんじゃないだろうかと思うことはあります。
是的,光是动起来了我就很兴奋。我想让大家也尝尝这种滋味。但现在制作游戏的辅助工具很方便用了,比如让角色大概普普通通地走起来的话很快就能做到了,但我想在此之前的摸索也是很能让人感动的。做到了“我做的模型动起来了!”“攻击了!”“被敌人的攻击击倒了!”之类的就会很开心吧。有人担心如果这些努力和作为努力结果的感动没了,会不会做成虚有其表的游戏,但我想作为开发者的乐趣才不会被那些所谓便利的工具给夺走。
——
企業の側も「このツールで作られています!」みたいなことを言う時代ですからねえ。使うからには言わなきゃいけないルールみたいなのがあるんでしょうけれど。
因为有过企业方面会说“是用这个工具来创作的!”这种话的时代。像是有用了就得说出来这样的规则吧。
ZUN
開発し始めたころなんて、まず絵が画面に出るっていう事だけでも感動しますからね。まあこんなことを思うのは古いプログラマーなんでしょうけれど(笑)。でも今は小学校でプログラムを学ぶ機会もあったりしますし、さっき僕が言ったような部分で感動するんじゃないでしょうかね。絵が出たり動かしたりするような。僕はそういう部分で今でも楽しみたいんです。まあ今さら絵が一枚表示されたからうれしいっていう訳でもないんですけれど(笑)。
刚开始开发时,只是画出画这点事就会感动。不过会这么想的可能只有以前的程序员吧(笑)。但现在在小学也有学习程序的机会了,可能不会像我刚才说的那样感动了。因为画出画了就使之动起来了。我现在也还会因为这样的部分而开心。虽然不是说如今贴一张画出来就会开心了(笑)。
——
そこはべテランの余裕といろか?
这就是所谓专家的余裕吗?
ZUN
弾が動いてくるのは感動しますよね。弾幕の形が狙った通りになったり、狙ってない意外な形が面白かったりね。しかもその形が一見すると全く避けられなさそうなのに、よくよく見てみると避けられそうだったりすることもあったりして。
让子弹动起来是能感动人的。弹幕的形状和预想的一样也是,成了意料之外的形状也有意思。但是不会做成一看就能全部避开的形状,有时候也会做成要好好看看才避得开的。
新作の話?
体験版を遊んで下さい(笑)
关于新作?
请去玩体验版(笑)
——
今は作品をひとつひとつ作ることが目標というのはあると思うんですが、クリエイターとして少し遠いところにあるような目標、今目指していることってありますか。
现在是以一个个做游戏为目标的吧,但现在,有没有和创作关系不大的目标呢。
ZUN
居酒屋をやりたいとかじゃなくて?
想开居酒屋算不算?
——
そこは……クリエイター要素を抜きには語れない目標かもしれませんが、どちらかというとZUNっていう生き方の目標じゃないですか。
那个啊……或许不能说是脱离了创作要素的目标,还请谈谈作为ZUN的人生目标的部分。
ZUN
うーん、ゲームを作るうえでの目標かあ。どうしても目の前のマスターアップを頭で考えちゃいますけれどね。
嗯,做游戏之上的目标啊。但再怎么说还是想把目前的游戏做出来。
——
何をもってして次の作品を作ろうとしたり目標を立てるかって、あると思うんですよ。たとえば新作の「虹龍洞」を作ろうとしたときに、どういう意図やモチベーションがあったりしたのかとか。
抱着某种想法来创作下一个作品于是便树立目标,是这样想的啊。比如做新作《虹龙洞》的时候,是有着什么样的意图和动机呢。
ZUN
なんて言ったらいいんだろうなあ。僕が作ってきたゲームって、開発しているその時その時の僕の考えていることというか心情みたいなものが結構反映されているんですよ。だから、言ってみれば僕が作っているゲームは僕にとっての日記みたいなところがあって、自分で見返すと開発していた当時に何を考えていたのかがすごくよくわかるんです。どちらかというと「こうしたい」とか「続けたい」とかよりも、「記録を取りたい」になっているのかもしれないですよね。そうすると、ゲーム作りを辞めちゃうと、それこそ別の新しい目標を考えなきゃいけなくなってくるじゃないですか。だから今はそうやって記録を付けていきながら、じゃあ将来的にそれらをどうやって使っていったりしようかみたいなことを考えているんです。
怎么说都可以的啦。我做的游戏,会大量地反映开发那会我的想法啊心情啊之类的。因此,我做的游戏说来就像是我写的日记,就算我自己来回顾也很搞不懂开发当时自己都在想什么。非要说就是比起“想这样做”或者“想继续下去”之类的,或许会说成是“想做记录”吧。这样一来,如果不再做游戏了,不就得思考其他的新目标了嘛。因此我想现在这样做着记录,将来可能就派上什么用场了。
——
なろほど、つまりゲームを制作することがZUNさんなりの主体的な社会とのかかわり方なんですね。
原来如此,总之制作游戏一事像是ZUN先生这个主体参与社会的方式了。
ZUN
そうかもしれないですね、放っておくと社会とかかわら無さそうだから(笑)。それが良いかっていうとそうでもないはずなので。
或许是吧,不然就没参与社会了(笑)。也不是说这样做好。
——
それに、制作したゲームに心情を入れ込む必要性は無いわけですからね。
因为,也没必要往制作的游戏里注入心情吧。
ZUN
やっぱりゲーム制作は自己表現の一つですから。最初からそういうことをしたかったかというと、たぶんそうではないんだけれど、今は僕にとってのゲームはそういうものシフトしていっています。まあ、それは単純に自己満足のためではなく、そうすることで他の人が作るゲームとの差別化になるんですよね。真似できないようなものになる。全く同じものを作ったとしたって、作る人が違えば心情は違うはずですよね。そういう意味では、理想の部分に「究極のオリジナルのゲームを作る」っていうのを持っているんですよ。それは頭で考えたようなものでは無くて、自分が息をするようにして自分から出てくるものは何かっていうことになってくるんです。将来的にはいろいろな技術がAIとかで代用されて作られるようなものになったとしても、まったく同じものをAIが作ろうとしても別のものになるっていう証拠になるんじゃないかと思っていて。
不过制作游戏还是一种自我表现。要说是不是打一开始就这样了,那应该不是的,但现在对我来说游戏的定位改变了。不过,不只是为了自我满足,还要做些什么来和别人做的游戏形成区别。要做成好像仿造不了的游戏。哪怕做的东西都一样,作者不同心情也就不同。这么说来,在我的理想中有“创作究极的原创游戏”这样一件事。那不是用脑子来思考的事物,得变成是自然而然地流露出的某种事物。证据我想就是哪怕将来各种各样的技术都会改由AI之类的代替,一模一样的东西让AI来也会做成其他东西吧。
——
なんか、ここ数年ずっとAIと戦おうとしていますよね。
怎么,这几年内就要和AI开战了啊。
ZUN
人類バーサスAI(笑)。僕としてはそこかもしれないと思ってますよね。まあ人類が勝ちますよ! ……すごく適当なこと言ってるな。
人类 VS AI(笑)。我自己可能正身处其中呢。不过人类会赢的!……说得不错啊我。
——
(笑)。
(笑)。
ZUN
まあ今言ったようなことも、まさにここ最近考えている話であって、一年や二年後には変わったりするし、そういうことを良しとする人間なんです僕は。でも人類にとってAIというテーマは大きいのでつい考えちゃうんですよ。AIの進化は本当に目まぐるしいし、みんながゲームを作らなくなるんじゃないかと思ってるんです。作らないっていうのは、実際は作るんだけどAIが作ったものに負けちゃうんじゃないかって。
不过现在说的也就是我最近思考的事物,哪怕一年两年后就变了,我这人也觉得这样就不错。不过对人类而言AI是个大题目。AI的进化真是让人目不暇接了,但我在思考人们会不会不再做游戏了啊。不再做是因为,就算真做出来了也会输给AI做的。
——
AIが書いた小説が賞を取ったりしてますからね。
AI写的小说都得奖了呢。
ZUN
正直なことを言うと人間が培ってきたものっていうのは「技術」なので、プログラムできてしまうもの。それはつまりAIが学習できるものなんですよね。だから僕がよく言っているのは「技術で物を作ってはダメだ」ということ。技術そのものであるAIと技術で競っても絶対に負けてしまうからね。だから僕が作るものは日記になっちゃってるんだけど(笑)。
真说起来的话人类培养的是“技术”,即程序可以做到的。其实也就是AI能学会的事物。所以我常说什么“用技术来创作是不行的”。因为要和作为技术本身的AI竞争技术是绝对会输的。所以我的作品才被做成了日记(笑)。
ZUN
もちろんAIも日記を書けるかもしれないけれど、実際に散歩したりごはんを食べたりするわけでは無いので想像するしかないから難しいんじゃないかと思っています。やっぱり実際に体験した人がその体験を反映したものっていうのは強さが宿るんじゃないかと。そういうことを考えて作っています。
当然AI或许也可以写日记,但没有真去散步或者吃饭而是只能靠想象所以难写吧。果然还是由实际体验了的人来反映其体验会更有优势。我是这样想着来创作的。
——
なるほど。
原来如此。
ZUN
弾幕も、自分で作って自分で避けて「超楽しいー!」と思っているから楽しいものになっているんであって、AIが作ったら似たようなアウトプットになるかもしれないけれど、それってあくまで似たものでしかないから、すぐに面白くなくなってしまうんじゃないかなって。いやあしかし、久々に大きい話をしましたよね、シューティングゲームのくせに(笑)。
弹幕也是,自己创作出来自己回避时觉得“超级有趣——!”所以成了有趣的东西,AI来创作可能也会产生这样的反馈,但那只是彻底的仿造品,所以很快就会变得没意思了吧。哎呀这个,我可是久违地说了大话,都怪射击游戏(笑)。
——
(笑)。ちなみにでは新作「虹龍洞」についての話なんですが……。
(笑)。接下来说说新作《虹龙洞》如何啊……。
ZUN
それはこの雑誌を見てる人はもう自分で触れてるだろうから、ここで言う話は特に無いかな(笑)。
那个会看这本杂志的人已经自己接触过了吧,所以没什么特别要在这里说的啦(笑)。