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东方外来韦编/参/幻想之源②
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- 该内容于杂志中页数:040-041
- 翻译:hyzdjx
幻想之源②
Fragment of Phantasy
「花映塚」で触れやすいトピックと言えば一番に挙げられるのは「地獄」だろう。 洋の東西を問わず存在するこの概念について、 あくまで東方的文脈で掘り進んでみよう。 | |
「悪いことをすると地獄に落ちる」などの常套句は今ではあまり使われなくなってしまったかもしれませんが、かつては道徳教育の重要ワードでした。ここでは、日本人がイメージする「地獄」がいかに形成されていったのかを仏教の歴史から見ていくことにします。 | 「做坏事要下地狱」这种俗语现在可能用得越来越少了,在以前这可是道德教育中重要的句子。在这里,将从佛教的历史来介绍日本人心目中的「地狱」是如何形成的。 |
地獄の誕生 | 地狱的诞生 |
人が死ぬと生前の行いによって裁かれ、善人は「極楽浄土(天国)」へ、罪を犯した者は「地獄」に送られ罪深さに応じた恐ろしい責め苦を受けることになるという考え方は「仏教」のものだと思われがちですが、必ずしもそうとは言いにくいところがあります。そもそも仏教誕生の地であるインドでは、死んだら死後の世界という考え方が一般的ではありませんでした。天界や地下世界の概念は古くからありましたが、天界は神々の住む世界、地下は悪魔(アスラ)、鬼(ヤクシャ)や竜(ナーガ)らの住む世界とされていました。仏教が誕生する前のごく初期のころは、そこに人間が来ることも考えられてはいませんでした。 | 人死后将被根据其生前的作为来裁决,将善人送往「极乐净土(天国)」、将犯罪者送往「地狱」然后根据罪行深浅受到相应的可怕折磨的这种想法很容易被认为是「佛教」的产物,但未必皆是如此。在佛教的诞生地印度那里,对于死后的世界是如何的没有一般的认识。虽然天界和地下世界的概念自古以来就有,但是天界是众神居住的世界,地下是恶魔(阿修罗)、鬼(夜叉)以及龙(那伽)居住的世界。佛教诞生前非常早期的时候,没有由人类前往那些地方的观点。 |
初期の仏教もそうですが、インドの死生観は基本的には「輪廻転生」を重視していて、人は死ぬと生前の行いによって転生します。必ずしもまた人間に転生できるとは限らず、悪行を行っていれば動物になってしまうかもしれません。逆に善行を積んだり、修行を行うことで神あるいはそれに近い存在となり天界の楽園で暮らすことができるようになります。こうした考え方は、インドで古くから広く信仰されているヒンドゥー教が、その前身であるバラモン教と呼ばれていた頃からあったものですが、チベットに近いインド北部でゴータマ・シッダールタ(釈迦)が仏教を起こした頃には、民衆が本当に天界に行くことができるのか、行けなかった者はどうなるのかといった意識が強くなります。そこで登場するのが、四季映姫・ヤマザナドゥの官職名にもなっている「ヤマ」、いわゆる「閻魔様」です。 | 早期的佛教也是这样,印度的生死观基本上重视「轮回转生」,人死后将根据生前所为进行转生。未必能再次转生为人类,做坏事则可能转生为动物。反过来积累善行、进行修行的话则可以成为神或接近神的存在而在天界的乐园里生活。这种思想,是从印度自古以来就广泛信仰的印度教的前身,婆罗门教的时候就存在的东西,在临近西藏的印度北部乔达摩·悉达多(释迦)建立佛教的时候,民众对于能否真正去天界、不能去的人会怎样这种事情更加关注了。在这时登场的,就是四季映姬·夜摩仙那度的官职名中存在的「亚玛1」,也就是常说的「阎魔大人」。 |
最初の人間にして最初の死者 | 最初的人类和最初的死者 |
ヤマは後に仏教に取り込まれて「閻魔」となるわけですが、インドでは非常に古くから伝わる存在です。神話的には最初の人間ということになっていて、太陽神の子とされています。双子の妹であるヤミーは恋人でもあり、ふたりの子供から人類が増えていったとされます。最初の人間ということは、神と違って永遠の命を持たず、死ぬ運命にあったということでもあり、ヤマは最初の死者となりました。ヤマが後の人類に遺した最大の功績は、人が死んだときどうなるか、という道筋をつくったことです。神々の世界である天界へ行き、そこで神々とともに暮らすこと。後の天国あるいは浄土と呼ばれる楽園に似た場所です。初めての例とはいえ、そこに行くことができたヤマがそのための資格を持つ者であったことは間違いありません。天国へと至る道はできましたが、到達するためには厳しい条件をクリアしなければなりません。それを達成することが、仏教やヒンドゥー教を信ずる者にとって最大の目的なのです。実のところは、キリスト教やイスラム教だって同じと言えます。 | 亚玛2在后来被收入佛教成为「阎魔」,其实是印度自远古时期就流传的存在。在神话中作为最初的人类,是太阳神3之子。同时也是双胞胎妹妹閻蜜4的恋人,从两人的孩子开始人类不断繁衍。最初的人类意味着和神不同,没有永远的生命,有着死亡的命运,于是亚玛成为最初的死者。亚玛为后来的人类遗留下来的最大功绩是,指明了人死后,应该怎样做的道路。那就是前往众神的世界天界,在那里和众神共同生活。这是和后来的天国或者称为净土类似的乐园般的地方。虽说是第一例,但前往了那个地方的亚玛拥有着去那个地方的资格。虽然做成了前往天国的路,但是要到达则必须满足严格的条件。达成这个条件,对信仰佛教或印度教的人来说就是最大的目的。实际上,基督教和伊斯兰教也说了同样的话。 |
そんな偉業を成し遂げたヤマは、遙か昔に実在した王だったとも言われています。当時はまだインドという国があったわけではなく、隣のペルシアと一体の社会を形成していました。そのためインドとペルシアの古い神話に共通した要素が多いのですが、その後仲違いして分裂し互いの神を「悪魔」と呼ぶようになります。そんな中、ヤマ(古代ペルシアではイマと呼びますが)はどちらにとっても偉大な存在と考えられているわけですから、どれだけ人々に慕われた存在だったのかが窺えます。特にペルシアでは伝説的な「聖王」として、歴代の王の事績を記した叙事詩『王書(シャー・ナーメ)』に四代王として一章を割いて記されています。700年に渡って人々が飢えを知らず死ぬこともない世界を治めたと書かれていますから、実在した王とはいっても神格化された状態です。『王書』は10世紀以降に作られたものですが(そのためここでは中世ペルシア語での呼び方でジャムシード王と書かれています)、同じようにヤマの治世を称えた詩は古代ペルシアで信仰されていたゾロアスター教の聖典『アヴェスター』にもありますし、ヤマが最初の人間と書かれた『リグ・ヴェーダ』に至っては紀元前10世紀ごろには成立していたとされているのですから、まさに神話が現実だった時代の人物であったことは間違いありません。 | 达成了这个伟业的亚玛,据说在上古时代就是实际存在的王。当时还没有印度这个国家,和临近的波斯构成了同一个社会。因此印度和波斯在古代神话上有很多共通的要素,只是后来发生不和两者分裂而互相把对方的神称为「恶魔」。在这之中,亚玛(古代波斯以依玛5称呼)无论在哪方都是伟大的存在,因而能看出受到了大量人的仰慕。特别是在波斯中作为传说中的「圣王」,被以四代王的身份单列一章记载于用于记录历代王的事迹的叙事诗『王书(列王纪)』中。上面记载着他治理人们不知饥饿没有死亡的世界达700年,因此他虽然是实际存在的王但也处于神格化的状态。『王书』是10世纪以后作成的(因此里面用中世纪波斯语的称呼法记录其为詹姆希德6王),同样称颂亚玛治世的诗歌记录在古代波斯中受人信仰的琐罗亚斯德7教的圣典『波斯古经』中,甚至在公元前10世纪左右成书的『梨俱吠陀』里也将亚玛记录为最初的人类,因此他无疑是神话中划时代的现实人物。 |
仏教と「地獄の王」 | 佛教和「地狱的王」 |
紀元前5世紀に、インド北部でお釈迦様ことゴータマ・シッダールタが仏教を興します。この頃にはバラモン教が精彩を失っていて、信者たちにも「自分が死んだら本当にヤマの国(天界)に行けるのか」と疑問視されるようになっていました。仏教ではバラモン教や後のヒンドゥー教で崇める神々の存在を否定し、日々精進を続けることによって自信が悟りを得て仏となることを唱えました。釈迦自身は輪廻転生や地獄とそこにいる閻魔についても否定的な立場だったわけですが、仏教の教えを広めていく上で教団としてはそうした旧来の考え方も活用したのでしょう。自身が仏となって涅槃(ニルヴァーナ)に至るという考え方は、従来のインドの死生観「ヤマの天界」にも似たところがあります。ヤマの存在は仏教の教えにも取り込まれ、死者を裁いて天界と地獄に振り分ける役どころを得ることになったものと思われます。そうした仏教の考え方が広まっていくと、バラモン教に代わって徐々に勢力を強めていくことになるヒンドゥー教でもヤマの立場が変化していきました。天界だけでなく死者の国である餓鬼界もヤマの支配地となり、ヤマの存在意義が拡大していきます。天上世界のヤマであると同時に、地下世界のエンマという二重の存在となり、死者を地獄へと引っ立てる死神のような役割を持つようになっていくのも、こうした背景があってのことでしょう。 | 公元前5世纪,释迦大人乔达摩·悉达多在印度北部创立佛教。这个时候婆罗门教正在衰落,信者们也抱有「自己死后真的能前往亚玛之国(天界)吗」的疑问。佛教否定了婆罗门教和后来的印度教中崇拜的众神的存在,倡导从每日不断的修行中开悟成佛。释迦自身对轮回转生和地狱中阎魔的存在持否定态度,但大概是为了推广佛教的教诲所以教团活用了这种旧有思想。自身成佛进而到达涅槃(Nirvana)的这种思考方式,和以前印度的生死观「亚玛的天界」有相似处。于是亚玛的存在被纳入佛教教义,获得了裁决死者并将其分派到天界或地狱的职位。这样的佛教思想扩散开后,佛教逐渐取代婆罗门教势力不断扩大并且同时印度教里亚玛的立场也产生了变化。不仅仅是天界就连死者之国即饿鬼界也成为亚玛的支配地,亚玛的存在意义逐渐扩大。在作为天上世界的亚玛的同时,也与地下世界的艾玛8成为具备二重身份的存在9,后来成为将死者送往地狱的押送死神般的角色,也是因为有这样的背景吧。 |
現在日本で広く受け入れられている「閻魔大王」像が形成されるのは、もうひとつ重大な要素があります。それは中国、日本に直接仏教を伝えた国の存在です。 | 在现在日本深入人心的「阎魔大王」形象的形成原因里,还有一个重大的因素。那就是中国,对日本直接传布佛教的国家。 |
四季映姫の場合もそうですが、いわゆる「閻魔大王」は中国の官服をベースとした服装をしていることが多くなっています。これは、閻魔だけでなく地獄そのものについても仏教がインドから。中国に伝わった上で発展したイメージか、その後日本にも伝わってきたからです。中国に仏教が伝わったのはおよそ1世紀ごろ。当時インドでは仏教の主流が大乗仏教へと変わっていく長い変革期が始まった頃で、同時にやがて来るインド仏教の消滅に向かってゆるやかな衰退が始まっていたと考えられます。仏教を迎えた中国では、すでに儒教が深く根付いていた上、老荘思想の宗教的展開として道教が形を成し始めるところでした。中国での仏教の需要は、儒教や道教と相互に影響を及ぼし合う形で進むことになり、地獄と審判者としての閻魔の概念は特に中国らしさが顕著に表れた変化を遂げます。インドのヤマには今でこそ水牛に乗った4本の腕を持つ神像がありますが、1世紀ごろは妹のヤミーと一体となったイメージくらいしかなかったようで、中国でそれ以前からあった冥界神と結びついて現在の閻魔のイメージが作られていきました。閻魔が地獄の審判者たち、いわゆる「十王」に含まれるという考え方も中国発祥で、道教と仏教に共通したものです。中国でじっくりと熟成された仏教とともに閻魔が日本に伝わるのは6世紀のことでした。時に閻魔は地獄に落ちた魂を救済する地蔵菩薩と結び付けられることがありますが、この考え方も中国仏教に始まったものです。四季映姫が元々はお地蔵様だったとする見方は、これに由来するものでしょう。 | 四季映姬的情况也是这样,常说的「阎魔大王」多穿着以中国官服为基础的服装。这是因为,不仅仅是阎魔就连地狱本身的印象的来源也是佛教。在传往中国的基础上发展起来,然后传往日本。大概在1世纪左右佛教开始在中国传播。当时印度处于佛教主流向着大乘佛教转变的漫长变革期的开端,同时印度佛教开始慢慢衰退最终迈向消亡。当时迎来佛教的中国,儒教已经深深扎根,并且老庄思想朝宗教发展开始形成道教的雏形。在中国,佛教需要以跟儒教和道教相互影响的形式来传播,地狱和作为审判者的阎魔的概念产生了富于中国特色的显著变化。印度的亚玛现在有着乘着水牛拥有4只手臂的神像,1世纪左右则似乎只有和妹妹閻蜜合为一体的印象,中国将其和以前就存在的冥界神结合在一起形成了现在阎魔的印象。阎魔是地狱的审判者们,包括所谓「十王」的思想也是从中国发祥、由道教和佛教共同生产的。中国逐渐将成熟的佛教连带阎魔一起在6世纪左右传往日本。有时阎魔会和救济落到地狱的灵魂的地藏菩萨相关,这种思想也是从中国佛教开始的。四季映姬原本是地藏大人的观点,就是由此得来的吧。 |
境界の河の渡し守 | 境界之河的船夫 |
四季映姫・ヤマザナドゥの部下である小野塚小町は「死神」です。その職務の第一は、担当する死者の霊魂を冥界へと迎え入れること。生者の世界「此岸(しがん)」と、死者の世界「彼岸(ひがん)」を隔てる「三途の川」の渡し守として、死者の魂を乗せた舟を漕いで渡し、直属の上司である地獄の裁判官に引き渡します。死者の増加に伴う人手不足により、ひとりで裁判を行わなければならない裁判官には、小野塚小町のような死神が複数部下としてつけられています。したがって死神の行う業務には裁判官の助手的な側面もあって、死者の受け付けや裁判の書記等の事務仕事も多いようです。 | 四季映姬·夜摩仙那度的部下小野塚小町是「死神」。这个职务最重要的,是将自己负责的死者灵魂送往冥界。作为隔断生者的世界「此岸」,和死者的世界「彼岸」的「三途之川」的船夫,她划着搭乘死者灵魂的船,将灵魂送往作为直属上司的地狱的裁判官处。因为死者的增加导致人手不足,必须独自进行裁判的裁判官,拥有像小野塚小町一样的多个死神作为部下。因此死神行使的业务里也有作为裁判官的助手的一面,多从事接待死者和记录裁判内容这种事务工作。 |
日本に伝わった仏教の地獄では、そのような仕事を誰に割り当てているのでしょう。例えば死者を迎えに行くいわゆる「死神」としての役どころは、主に鬼の担当です。閻魔自身が迎えにいくこともあるとされますが、それは相手が特別な存在だったりする場合に限られるのかもしれません。裁判の記録は、司命(しみょう)と司録(しろく)と呼ばれるふたりの書記官が行います。三途の川はやはり舟で渡ることになっていて、渡し賃として六文銭を死者に持たせるという風習も古くからありますが、渡し守りについては特に言い伝えがないようですが、渡し賃を持たなかった死者は賽の河原にいる「奪衣婆(だつえば)」に服を渡し賃代わりにはぎ取られることになっています。こうした地獄のシステムの多くは前述の通り中国あるいは日本に伝わって以降に作られたものですが、ヤマに審判者としての性格が付け加えられて以降のインドにも原型を見ることができます。インドの古い火の神であるアグニは、不浄な死者を焼きながらヤマのもとへ連れていく役どころがありました。中国や日本でどんどん血生臭く凄惨な世界と化していった地獄ですが、そんなアグニの役どころから想像を膨らませていった結果だったのではないでしょうか。 | 传往日本的佛教的地狱里,这样的工作会分给谁呢。例如迎接死者的所谓「死神」的职位,主要是由鬼负责。有时阎魔会亲自去迎接,但这可能仅限于对方是特别的存在的场合。审判的记录,由称为司命和司录的两个书记官负责。三途川仍需要乘船渡过,向死者收取六文摆渡钱是自古以来的风俗,对于船夫则似乎没有特别的传说,但没有摆渡钱的死者会在赛之河原的「夺衣婆」处被剥下衣服来代替摆渡钱。这个地狱的系统里的很多都如前所述是传往中国或日本之后形成的,但为亚玛添加作为审判者的性格一事在以后的印度也能找到原型。印度古老的火神阿耆尼10,负责焚烧不净的死者并将其带往亚玛之处。地狱在中国和日本成为越来越血腥凄惨的世界,是不是想象从阿耆尼的职责中膨胀所导致的结果呢。 |
注释