东方外来韦编/2018 Spring!/幻想之源①

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  • 该内容于杂志中页数:030-031
  • 翻译:hyzdjx

幻想之源①

Fragment of Phantasy


東方Projectにちりばめられた、様々な幻想の欠片を覗き見るコラム。

今回もライター・塩田信之氏が、読者と幻想を橋渡ししてくれるぞ。

1本目は、意外と身近な話題とともにお贈りする。
本栏目将窥视星罗棋布于东方project里的,各式各样的幻想碎片。

本期也由作家·盐田信之先生,为读者架起通往幻想的桥梁。

第一篇,将谈论意外切身的话题。
地霊
地灵
 土地に由来する神や精霊、妖怪といった存在の総称として「地霊」と呼びますが、その多くは神話に登場する神々よりも古くから日本にいたなじみ深い存在です。しかも、古いからといって忘れられたわけではなく、現代でも人々の暮らしに身近であり続けているのです。
 源于土地的神、精灵和妖怪的总称就是「地灵」,它们是很多比在神话中登场的众神更为古老的在日本耳熟能详的存在。并且,它们虽然古老但仍然未被遗忘,即使在现代也仍然存在于人们的生活中。
地を鎮める祭
供奉土地的祭典
 家の建て替えなどを行う際、いったん更地になったところにテントを張って小さな祭壇のようなものが置かれたり、神社にあるような「注連縄(しめなわ)」をかけた竹が四本立てられているのを見たことはないでしょうか。あれはその地域の神に土地を使用する許しを得たり、工事や新しい建物の安全等を祈願する儀式で、「地鎮祭」と書いて「じちんさい」や「とこしずめのまつり」と読みます。
 在进行家的改建的时候,在临时形成的空地上不知道有没有见过在撑起的小帐篷中放入的小祭坛般的东西,或者是将类似于神社用品的「注连绳」系在四支立着的竹子上。那是为了从那片地域的神那里获得使用土地的许可,以及祈求施工和新建筑的安全等的仪式,这被写作「地镇祭」,读作「Ji Chin Sai」或「ToKo ShiZuMe no MaTsuRi」。
 土地を使用する許可を得る、と考えるとそれを怠ったらバチが当たるの? と思いがちですが、必ずしもそうではありません。基本的にはその土地を守る神を鎮める儀式ですから、行っている期間中「休んでもらう」意図があります。期間は三日程度とそれほど長くはないのですが、疲弊した土地に休息によって生気を取り戻してもらうわけです。地鎮祭は神社から神職に来てもらって祓詞を奏上してもらう神式が一般的ですが、仏式やキリスト教式で行われる場合もあります。施主の信仰によって変わるところは冠婚葬祭と同じです。
 要得到使用土地的许可,不这样做就会遭到报应? 看到这种请求会容易这么想吧,但其实未必如此。这基本上是供奉守护这片土地之神的仪式,想在仪式执行的期间内「让土地休息」。时长也就大概是并不长的三天的程度,但可以让疲惫的土地通过休息取回生气。地镇祭一般是由神社的神职人员来奏上祓词的神道仪式,但也有进行佛教仪式和基督教仪式的场合。依施主的信仰而异的这一点和冠婚丧祭相同。
 神式で行った場合は、「氏神(うじがみ)」と呼ばれるその地域一帯を守護する神を祭壇の榊に降りてもらい、祝詞を奏上します。地域によっては対象となる神は、「屋敷神」と呼ばれる、家あるいは一族の守護神になったりもします。ずいぶんプライベートな印象ですが、屋敷神は祖霊、いわゆる「ご先祖様」が神になるという考え方もありますし、「氏神」も本来は文字通り「氏=一族」の守り神だったと考えれば自然なことと言えます。仏式やキリスト教式の場合お経を唱えたり賛美歌を歌ったり、宗派によっても式次第が異なりますが、内容も感謝を捧げた上で工事を無事終わらせる決意表明になったりします。「起工式」などと呼び替えることもありますが、式次第も含めて都合に合わせて変えても大丈夫なようです。
 进行神道仪式的场合,被称为「氏神」的守护这一带地域的神通过杨桐制的祭坛降临,并被奏上祝词。依地域的不同,作为仪式对象的神,有时被称为「地主神」,是一家或者一族的守护神。虽然是非常个人的印象,但也有地主神是由祖灵,即「先祖大人」变成的神的说法,「氏神」本来就如字面意思,是「氏=一族」的守护神这种看法可以说是自然而然。佛教仪式和基督教仪式的场合则会念经或者唱赞美歌,虽然依宗教不同导致仪式不同,但内容都是献上感谢并且表明了让工事平稳结束的决心。也有「开工仪式」这种不同说法,在仪式的程序上灵活变通似乎也没问题。
 地鎮祭の歴史は古く、原型と考えられる儀式については弥生時代の遺跡からも見つかっています。正式な記録としては『日本書紀』全30巻の最終巻、持統天皇の即位6年(西暦692年)に、藤原京の造影地へ「難波王(聖徳太子の孫ともされるが詳細は不明)」を派遣して「鎮祭」を行わせたとあります。20年に一度行われる伊勢神宮の「式年遷宮」は持統天皇4年から行われるようになりましたが、20年間休ませた「古殿地(こでんち)」が新たに宮を建てる「新御敷地(しんみしきち)」として造影を始める前に「鎮地祭(ちんちさい)」を行っています。また、新しい正殿ができた後に行う「後鎮祭(ごちんさい)」も執り行われます。もっとも、こうした儀式は国家的な建築事業や神社仏閣、皇族や富裕な武家など限られた人々が行っていたもので、現在の地鎮祭とはやり方も異なっていました。米や塩といった神饌や、「人形(ひとがた)」などを入れた「鎮物(しずめもの)」と呼ばれる木箱を地中に埋めるこおtが多かったようです。人形もそうですが、竹を立てる方向など地鎮祭では方角(風水)も重視されますから儀式は陰陽師が執り行っていました。後の江戸時代中・後期に、発達した印刷技術によって一般庶民向けに「家相」の解説本が多数出版され、現代の様式に近い地鎮祭が一般に行われるようになったようです。
 地镇祭的历史悠久,被认为是其原型的仪式已从弥生时代的遗迹中被发现。正式的记录则是在全30卷的『日本书纪』的最终卷,在持统天皇即位以来的第6年(公元692年),被派遣去藤原京的建造地点的「难波王(被认为是圣德太子的孙子然而详情不明)」举行了「镇祭」。每20年举办一次的伊势神宫的「式年迁宫」是从持统4年开始举行的,在休息了20年的「古殿地」成为建造新宫殿的「新御用地」上在开始建造前举行了「镇地祭」。另外,在新的正殿完成之后举行了「后镇祭」。但是,由于这种仪式是只有国家级的建筑事业以及神社寺院、皇族和富裕的武士家等才能进行的,因而和现在的地镇祭在做法上不同。似乎多用米和盐做神的供品,以及将放有「人偶」的称之为「镇物」的木箱埋入地底。人偶的放置也很独特,是在插的竹子的朝向上,由于地镇祭重视方位(风水),仪式便由阴阳师来执行。之后在江户时代的中、后期,由于印刷技术的发展很多面向一般平民的「宅相」指南得以出版,行程与现代相近的地镇祭变得大众化了。
 土地神や氏神、祖霊でもある屋敷神などは、人間の生活に近い地霊と言えます。地鎮祭は古代から現代まで連綿と続く地霊と人々の交流の証だったわけです。
 土地神和氏神、祖灵以及地主神,可以说是离人们的生活很近的地灵。地镇祭是从古至今地灵和人们之间连绵不绝的交流的证明。
土着の神と降臨した神
土著神和降临神
神々だけでなく元々は人間だった祖霊や、人間に悪戯をしたり時には恐怖の対象にもなる妖怪もまた「地霊」と呼ばれます。他にも、猪や狼、蛇など「山の神」と呼ばれたり神聖視される動物たち、地上に降りた神が座る「御座石」などと呼ばれるさまざまな大きさの石、「ご神木」と呼ばれるような巨樹、果ては山そのものまでさまざまな存在が「地霊」に数えることができます。その考え方はいわゆる「八百万の神」と同様で、世のあらゆるものに神性を見出す日本人らしい感性の成さしめるところです。ただし、ひとつ「地霊」と呼ぶにあたっての決まり事に、「日本の土地に古くから根付いた存在」であることが挙げられます。だから、神々にも地霊と呼んでいい存在とその呼び方がそぐわない存在がいるわけです。


現在日本の各地にある神社の多くは、アマテラスを主神とする「天津神」系の神々や皇族を祭神としています。天津神は高天原という神々の世界にいた存在が、「天孫降臨」以降日本へやってきたと日本の神話、『古事記』や『日本書紀』等で語られていますが、高天原を追い出され、天孫降臨より先にやってきていたスサノオも、同じ天津神です。天津神とは対照的に日本に元からいた神々が「国津神」で、オオクニヌシはその代表と言えますが、神話に登場する多くの国津神たちは、「国譲り」で日本を天津神に明け渡した立場となるわけです。

国津神は、人々が「八百万の神」として太陽や月、山や川に岩などさまざまな自然物、自然現象や動植物などを畏敬の念を込めて神と祭り上げた存在です。人間が生活していく上で必要となるさまざまな恵みをもたらしてくれる山や海、川などは、母親のように優しいだけでなく危険な獣の類や山火事や洪水、川の氾濫など恐ろしい災害をももたらす存在として恐れ敬われました。風雨や雷などの天候も同じように恵みと畏怖の対象として神と崇めましたが、そこに人間のような姿や名前を持つ神々、高天原のような神々の住む世界まで想像はしていなかったのではないでしょうか。当時日本に暮らしていた「原日本人」などと呼ばれている人々は、狩猟・採集を中心とした生活基盤に重きを置いていたと考えられ、「国家」と呼ばれる規模の大きな社会はまだ作っていなかったと思われます。近年の考古学的発見の神々でこれまで想像してきた「縄文時代」像は崩れてきていますが、稲作を主体とする定住生活だけでなく「日本神話」を持ち込んだ人々によって「弥生文化」が広がっていくにつれ、人々の暮らしや信仰が大きく変わっていったことは間違いありません。

高天原の最高神アマテラスの指示で「天孫降臨」してきた、ニニギら天津神たちは、九州は日向(現在の宮崎県)の地に最初の拠点を築きました。当時を物語る神話を見ていくと、天津神たちは国津神の娘を嫁にとるなどして、時間をかけて日本に馴染んでいった様子が窺えます。しかし、業を煮やしたのか日向の天津神たちに本国アマテラスから「日本全土を手中に収めよ」という指令が届き、立ち上がったのが「最初の天皇」とされる「神武天皇」です。彼は「東征(東遷)」と呼ばれる進軍を行い、機内まで進行して国家「大和(ヤマト)」を造ります。そこに至るまでは、国津神ナガスネヒコやヤソタケルらとの戦いがあり、兄ヒコイツセを失い、高天原からの援軍タケミカヅチや八咫烏らの助力があってこそ成し遂げられたものでした。

大和朝廷によって国家の体が整えられていく中、朝廷の支配を決定的にする日本神話最大級のヒーロー、ヤマトタケル(当時は幼名オウス)が登場します。ニニギや神武の子孫でもあるヤマトタケルは、力をつけて朝廷に反旗を翻した九州のクマソをはじめ東海や関東といった東の諸国を巡って「エミシ」などと呼ばれた蛮族を平定していきます。中には山や川の荒ぶる神々も含まれていましたし、戦いだけでなく政略結婚も使って多くのクニを大和朝廷に帰順にさせました。朝廷の影響範囲が広がっていくと、抵抗勢力は東北方面に追い立てられていくことになります。抵抗勢力は「まつろわぬ(順わぬ)もの」とも呼ばれ朝敵として長きにわたって征伐の対象とされました。討伐軍の指揮官は「エミシを征伐する」という意味の「征夷大将軍」と呼ばれるようになり、日本の歴史の折々で名を馳せていきます。大伴家持(当時の役職名は持節征東将軍)、坂上田村麻呂、木曾義仲、源頼朝、足利尊氏、そして徳川家康とそうそうたる顔ぶれがこの役職に就いています。すべてがエミシとばかり戦っていたわけではありませんが、「征夷」が国家事業として重視され、大将軍の力が拡大していったことで政治の実権が幕府に移ってしまう原因にもなりました。

さんざんな目に遭ったのは「まつろわぬもの」と呼ばれた人々です。蛮族呼ばわりされ人間扱いもされず、しまいには鬼や土蜘蛛など人を喰う化物とまでいわれ、人ならぬ存在「地霊」の仲間入りを果たしたわけです。
 不止是在身为神明的同时原本还曾是人类的祖灵,对人类做恶作剧或者有时成为人类所恐惧的对象的妖怪也被称为“地灵”。除此以外,猪、狼和蛇这种被称为“山神”、认为神圣的动物们,被降临到地上的神明临幸过的被称为“御座石”的等等各式各样的巨大的岩石,被称为“御神木”的巨树,甚至是山本身,这些各式各样的存在都可以算作“地灵”。这种观点和所谓的“八百万神”一样,是在世间万物上发现神性的日本人所特有的感性造成的。但是,当称某物为一个地灵的时候,必然可以列举出“它自古以来便根植于日本的土地”的证据。因此,神明里也有可以称其为地灵的存在和与地灵之称不相称的存在。


 现在日本各地的神社多把以天照为主神的“天津神”系的神明和皇族作为祭神。天津神是在众神的世界即高天原里的存在,“天孙降临”后来到日本,被记载于日本的神话、《古事记》和《日本书纪》等中。被驱逐出高天原,在天孙降临前就到达日本的素盏鸣尊也同样是天津神。和天津神相对,原本就在日本的神明是“国津神”,大国主可以说是其中的代表,在神话中登场的多数国津神,在“让国”里处于把日本让给天津神的立场。

 国津神被人们当作“八百万神”,是人们对太阳和月亮、山川中的石头等各种各样的自然物、自然现象和动植物等,产生敬畏的念头并将其奉为神明的存在。提供人类生活必需品的山、海以及河流等等,不仅会如母亲般温柔,而且会带来危险的兽类和山火、洪水、河川泛滥等恐怖的灾害,被人敬畏着。风雨雷电这些天气也一样,作为恩惠的来源和畏惧的对象而被当作神来崇敬,在这里有没有想到具备类似人类的姿态和名字的众神,以及类似高天原的众神居住的世界呢?当时在日本居住的被称为“原日本人”的人们曾被认为把生活的重心放在狩猎、采集上,没有形成可以称之为“国家”的大规模社会。近年的考古学有很多发现,使得人们对“绳文时代”旧有的想象逐渐瓦解。他们不仅过着以种稻为主体的定居生活,而且那些带来“日本神话”的人们还推广了“弥生文化”,无疑使得人们的居住和信仰发生了大幅改变。

 根据高天原的最高神天照大神的指示,琼琼杵尊等天津神们,在九州的日向(现在的宫崎县)那里建立了最初的据点。若浏览描述当时的神话——天津神们做出了强娶国津神的女儿等事,可以看出他们花费时间来熟悉日本的样子。但是,这可能惹怒了天照大神,在日向的天津神们收到本国的天照大神“把日本全境掌握到手中”的命令,这时站出的是被当作“最初的天皇”的“神武天皇”。他实施了被称作“东征(东迁)”的进军,一直前进到畿内,建立了国家“大和”。在此之前,他和长髓彦、八十枭帅等国津神交战,失去了兄长彦五瀬命,正是有了从高天原来的援军——建御雷神和八咫乌的帮助才最后胜利的。

 在大和朝廷对国家的体制进行整治的时候,确立了朝廷的支配地位的、日本神话里无与伦比的英雄日本武尊(当时乳名为小碓尊)登场了。作为琼琼杵尊和神武的子孙,他鼓足干劲走遍了东海以九州的熊袭为首的和关东的向朝廷举起反旗的东方诸国,镇压了被称为“虾夷”的蛮族。其中山和河的荒神们也被包含其中,并且他不仅依靠战斗,还使用了政治联姻,这使得多数地区都归顺了大和朝廷。朝廷的影响范围不断扩大后,对抗势力被赶到了东北地区。抵抗势力被叫做“逆徒”,是长期被当作叛国者来征讨的对象。讨伐军的指挥官从此被称作有着“征讨虾夷”的含义的“征夷大将军”,在日本历史上常常留下痕迹。大伴家持(当时的职位名为持节征东将军)、坂上田村麻吕、木曾义仲、源赖朝、足利尊氏,以及德川家康等人就是这个职位上的杰出代表。虽然不是所有人都经常和虾夷作战,“征夷”还是被当成国家事业受到重视,大将军的权利得到扩大,成为政治的实权转移到幕府的原因。

 吃尽苦头的是被称为“逆徒”的人们。被称作蛮族,不被当作人,最终甚至被说成鬼或土蜘蛛这种吃人的怪物,成为了非人存在“地灵”的同伴。
地霊殿に集まる地霊たち
地灵殿里聚集的地灵们
そんな地霊たちの歴史を前提に『東方地霊殿』のストーリーを眺めて見るのもまた面白いのではないかと思います。事件の発端は、山の神である八坂神奈子と洩矢諏訪子が、地獄鴉に神鳥八咫烏の力を授けたことにあります。いまやサッカー日本代表のシンボルマークとして有名になった三本足の八咫烏は、太陽そのものあるいは太陽の黒点を象徴するともいわれ、熱核融合による巨大なエネルギーで地球を照らしています。霊烏路空が山の神から与えられたのは、太陽そのものの力です。
地霊殿に登場する妖怪たちもまた地霊です。火焔猫燐はいわゆる妖怪図絵の類では鬼のような恐ろしい形相が火の車輪に張り付いた妖怪「火車」。黒谷ヤマメが「土蜘蛛」で、星熊勇儀が「鬼」と、「まつろわぬもの」の代表格といっていい妖怪たちです。「橋姫」である水橋パルスィは水の神ですが、参号で取り上げた渡辺綱が一条戻橋で遭遇した鬼女でもあって、実は大江山の鬼退治で生き残った茨木童子のその後の姿だともいわれています。
 以这些地灵们的历史为前提,去看《东方地灵殿》的故事,不觉得有趣吗?事件的起因是山神八坂神奈子和洩矢诹访子,给地狱鸦授予了神鸟八咫乌的力量。现在作为日本足球代表队的logo而闻名的三足的八咫乌,被认为是太阳本身或者是太阳黑子的象征,利用核聚变产生的巨大能量照着地球。灵乌路空从山神处得到的力量是太阳本身的力量。


 地灵殿登场的妖怪们也是地灵。火焰猫燐在所谓的妖怪图鉴中被归于有着鬼一般的恐怖面孔、带有火焰车轮的妖怪“火车”,黑谷山女是“土蜘蛛”,星熊勇仪是“鬼”,都可以说是“逆徒”中有代表性的妖怪们。作为“桥姬”的水桥帕露西是水神,作为参考1采用了渡边纲在一条归桥遭遇的鬼女,也有一说这实际上是大江山除鬼后幸存的茨木童子在此的姿态。

注释

  1. 原文“参号”应为误植