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ZUN/龙骑士07对谈记事

来自THBWiki
< ZUN
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  • 翻译:卡锅

特別対談/ZUN✕竜騎士07
「同人ゲームが起こした『奇跡』の真価」
特别对谈/ZUN✕龙骑士07
「同人游戏所创造的『奇迹』的真正价值」
『ひぐらし』から『うみねこ』、そして『東方Project』──ゼロ年代に花開いた同人ゲーム・ムーブメントはどこへ向かうのか。
コミケを席巻するトップランナー2名による緊急対談がここに実現。
从『寒蝉』到『海猫』,以及『东方Project』──在2000年代步入繁盛的同人游戏・潮流将会走向何方?
横扫Comic Market的两位领跑者的紧急会谈在此得以实现。
ZUN(ずん、写真左)
1977年生。同人ゲーム作家。個人サークル「上海アリス幻樂団」主催。大学在学中の1996年より『東方Project』シリーズを発表。就職を機に活動を休止するも2002年より再開。最新作は『妖精大戦争~東方三月精』。
ZUN(ずん、照片左)
1977年生。同人游戏制作者。个人社团「上海爱丽丝幻乐团」主催。1996年在就读大学时发表了『东方Project』系列。以就业为契机停止了活动但在2002年复出。最新作品是『妖精大战争~东方三月精』。
竜騎士07(りゅうきしぜろなな、写真右)
1973年生。同人ゲーム作家。サークル「07th Expansion」代表。公務員生活を続けながら創作活動を行い、2002年から『ひぐらしのなく頃に』を発表。2007年からは新シリーズ『うみねこのなく頃に』を発表している。
龙骑士07(りゅうきしぜろなな、照片右)
1973年生。同人游戏制作者。社团「07th Expansion」代表。在公务员生活的同时进行创作活动,并从2002年开始发布『寒蝉鸣泣之时』。2007年开始的新系列『海猫鸣泣之时』正在发布中。
◉取材/中川大地・宇野常寛・田口寛之・村上裕一
◉構成/中川大地・宇野常寛
◉采访/中川大地・宇野常宽・田口宽之・村上裕一
◉构成/中川大地・宇野常宽
ゲームデザインにおけるキャラクターの意味
在游戏设计方面的角色的意义
──
新作マスターアップ佳境の大変お忙しい時期にお時間を取っていただき、大変ありがとうございます。

いま僕らは、同人ゲーム界にとって非常に犯罪的な企画をしていると思うんですが(笑)、ゼロ年代のゲーム全体を考える上で、同人ゲーム発のムーブメントが果たした役割は、どうしても欠かせません。

そこでまず、お二人が同人ゲームの制作を始めるようになった背景や、なぜ同人ゲームだったのかというそもそもの動機から、お話しいただければと思います。スタートはZUNさんの方がお先ですよね。
在新作完稿正入佳境的百忙之中,能够抽出时间来接受我们的采访,真是万分感谢。

我们现在觉得,自己正在进行一项对于同人游戏界可以称得上犯罪的企划(笑)。谈到2000年代的所有游戏,同人游戏开发潮流所扮演的角色,在这段发展历史中必不可缺。

那么在这里,我想请两位从自己开始制作同人游戏的背景,还有为什么会选择同人游戏这一最初的动机开始谈话。就从ZUN先生开始吧。
ZUN
大学の時です。ゲームを作り始めてから15年目くらいになります。

1995年、ちょうどWindows95が出た頃です。ただ僕はWindows、じゃなくMSDOSで開発していました。あの頃の同人ソフトは今と相当違っていて、ゲームの体裁になっているもの自体ほとんど無かったし、買う人も少なかったです。ちょうど作り始めた時期が、弾幕系が出始めた頃ですね。弾幕というジャンルがあったわけではなくて、ただそういうムーブメントだったんです。今でこそシューティングは「弾幕」と「それ以外」ですけど、当時はただ、画面の弾がだんだん増えていくなという程度でした。

で、大学を卒業してゲーム会社に就職したので、3~4年くらい同人は休んでいたんですよ。ただ、会社の仕事では、思うように好きなSTGが作れなくてイライラしていたので、久しぶりに同人に復帰して作ったのが、2002年の『東方紅魔郷』でした。
那是大学时的事情。从我开始制作游戏到今天已经是第15年了。

1995年,正好是Windows95出现的时候。不过我并不使用Windows系统,而是用的MSDOS进行开发。那时的同人游戏和现在的差别十分巨大,能撑起门面的游戏几乎没有,消费者的数量也是极少。在我开始制作游戏的时期,正好是弹幕类游戏萌芽之时。弹幕这一游戏题材还不能称得上存在,只是有这样一种潮流。现在来说弹幕射击游戏是由「弹幕」和「其他」组成的,但在当时,游戏内容仅仅只是画面中的子弹一点点增加这种水平。

然后,在大学毕业后我在游戏公司就职,于是在大概3~4年停止了同人活动。不过在公司的工作中,我因无法像自己渴望的那样做喜欢的STG而变得焦躁,最后时隔数年回到了同人领域,做出的成果便是2002年的『东方红魔乡』。
龙骑士07
私はというとZUNさんみたいに明確に「シューティングが好きだ」とかいうことはなくて、何かが作りたいんだけどそれが何かまではわからない時期が長かったです。ゲーマーとしては、ヌルく『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』が好きだったので、漠然と「作るなら大作RPGでしょ」とか考えていたことはありましたけど。
紆余曲折してノベルゲームに出会うまでは、イラストを描いてトレーディングカードゲームのカードを作ったりしてました。だけどだんだんイラストを描くよりも、カードの特殊能力を考える方が楽しくなってきて。それってつまり、ノベルゲームの設定を作るのと同じことなんですよね。
对我来说,不存在像ZUN先生那样明确的「我喜欢弹幕射击游戏」这一类的理由,我在很长的一段时间里处于想做些什么但对于要做什么完全没有想法的状态。在游戏方面,很普通地喜欢着『最终幻想』和『勇者斗恶龙』,自己偶尔也会蹦出一些「要做就做RPG大作」之类的模糊的想法。
在几经波折和视觉小说邂逅之前,我一直在绘制插画以及制作集换式卡牌游戏的的卡片。不过逐渐的,比起绘制插图,我变得更热衷于构思卡牌的特殊能力。这归根结底,和构建视觉小说的设定是同一回事。
ZUN
そこを考えるのは楽しいですよね。それが格闘ゲームとかの場合だと、「こういうキャラクターだったら、こういう技を使うはず」とか考えていくところが、ゲームデザインの原点だったりするじゃないですか。
思考这方面的事情确实很开心啊。比如在构思格斗游戏的话,「这样的一个角色,应该会使用这样的技能」,在思考这种事情的时候,就可以称得上是游戏设计的原点了吧。
龙骑士07
同じことが、『東方』にも言えるわけですね。「こういう性格のキャラだから、こういう弾幕かな」みたいな。
这件事情,在『东方』里同样适用。就像是「对于拥有这种个性的角色,她就该使用这种弹幕」这种感觉。
ZUN
そう。なぜ『東方』では自機を人間にしたかということを格好良く言うと、キャラクター性を持たせることによって、STGがもう一歩新しいステージにいけるんじゃないかと思ったんです。

それまでのSTGで一番ダメだったのは、何でもシステムが先なところ。例えば戦車のキャラクターが撃ってきてるのに、弾がワラワラと画面に散らばっちゃうとか。本来なら戦車を出したら、それだけでゲームの内容はある程度決まってしまうハズなんです。砲台が回頭してる間に時間稼ぎをして、逃げ道を作るとかね。

システムありきなのも、デザインのやり方としてはアリだとは思うんですすが、やっぱりのめり込めないんですよね。こういうキャラクターだからこういうシステム、こういう敵がこういう攻撃をしてくる、という方が俄然面白い。対戦格闘とかと違って、STGにはそれが欠けていたので、なら自分が入れようと思ったんです。
没错。为什么在『东方』中设定自机为人类,对这个问题帅气一点的回答就是:我认为迈出让自机拥有角色性这一步,将会把STG引向一个全新的舞台。

那时的STG最大的缺点就在于,无论如何游戏系统优先。比如说,明明是战车型角色射出的子弹,为什么会轻飘飘的满屏幕飘散呢?按理来说既然拿出了战车,那本来应该单凭这一点就可以在一定程度上决定游戏内容。比如说炮台转向需要耗费一定的时间,这样就能创造逃跑路线了。

不论是系统的存在,还是说设计上的一种思路我都认为是可行的,但果然还是没人埋头研究过嘛。因为是这样一个角色才会有这样一个系统,这样的敌人会用这种攻击方式袭来,这样做立马就有意思起来了。和对战格斗类不同,既然STG在这方面有所欠缺,那么就由我自己来补上。
龙骑士07
私も昔はタイトーのSTGを結構やりましたけど、無機質な戦闘機がパワーアップするとか、敵ボスが第一形態から第二形態になる、とかくらいでしたっけ。少なくともZUNさんが『東方』シリーズを作って一石を投じるまで、STGって3本あったら2本は最後に地球が滅ぶような作品で(笑)、マニアックなシューター御用達の世界になっていた気がしますね。一般ユーザーからすれば、自キャラが無機質な戦闘機よりも美少女であるというだけでも、俄然やる気が出てくる(笑)。インターフェースとして直感的ですし。
我曾经也玩过不少TAITO的STG,但无非是无机质的战斗机火力升级,BOSS从第一形态变为第二系统等等,尽是这些东西。至少在ZUN先生制作『东方』系列,一石激起千层浪之前,STG里3个能有2个是最后地球就像要毁灭了一样的作品(笑),我甚至感觉世界就快给机械化的射手们盖章认证了一样。对于一般用户来说,与操纵无机质的战斗机相比,仅仅是操纵美少女自机这一点,就能让人一下子涌出干劲(笑)。观感上来说可以说是下意识的选择。
ZUN
遊ぶ側だけではなくて、キャラクターを付けることは作る側にも優しいんですよ。

何もないところから新しいシステムを考えようと思っても、機械的なシステムしか出てこない。でもキャラクターがあると「このキャラクターだったらこうするんじゃない?」となって、アイデアが出しやすくなる。だから、実はキャラクター自体はそんなに重要でもなくて、あくまでシューティングをより面白くするための仕掛けにすぎないんです。

ただ、それが時代が進むにつれて曲解されていきますよね。「これが売れるんだろ?」というノリで、とりあえずキャラクターにゴテゴテ設定付けたのが出始めるんだけど、本質を理解していないからだいたい失敗するね(笑)。あればいいというわけじゃなくて、それがゲームのためになっているかどうか、なんです。
不只是对于玩家来说,添加角色这一点对制作者来说也非常友好。

想要无中生有,写出一套全新的系统,最后也只能做出死板的东西。但是只要有角色在,思考方式就会变成「既然是这个角色的话那他应该会做这种事情吧?」,非常容易产生灵感。所以,事实上角色自身并没有那么重要,说到头就是一个让弹幕射击游戏变得更加有趣的手段。

不过,随着时代的前进这一点也被曲解了。「这样的角色能够火起来吗?」一些人抱着这样的兴致,在最一开始就絮絮叨叨地给角色塞进一大堆设定,但因为没理解本质所以基本上都是失败的(笑)。并不是说只要这样做就好了,而是为了游戏这样做才好,是这个意思。
龙骑士07
「キャラ萌え」だけじゃダメってことですね。
あくまでシステムとして、プレイヤーと対峙しうるかたちでないと。でもだからこそ、『東方』のリプレイをやる人はボス戦は飛ばさないでほしいなぁ(笑)。僕は演出カットも飽きずに何回もグルグル見返すタイプです。
只有「萌属性」是不行的意思啊。
说到头在游戏系统上,还是要保持与玩家对峙的状态。但是正因如此,我才希望『东方』的实况UP主们能不要跳过BOSS战对话啊(笑)。我是那种会抱着演出片段毫不厌倦地来回翻看的那种人。
ZUN
僕はシューティングの台詞はだいたい飛ばしちゃいます(笑)。

どんなゲームでも文章を飛ばす人間なんで。RPGでも、それで次にどこに行くのか分からなくなる。

小説はいいんですけど、ゲームで文字を読むのは面倒くさいんですよ。文章なしで遊べるゲームがいいと思いますね。
弹幕游戏的台词我差不多是全程跳过(笑)。因为我是个不管玩什么游戏都会跳过文本的人。就算是RPG也一样,然后就不知道下一步该去哪儿了。
小说倒没什么问题,在游戏里阅读文字可麻烦死了。希望能有不需要文本也能玩的游戏。
龙骑士07
でも『東方』だって、会話は世界観を表わす重要な要素じゃないですか。
但是在『东方』里,对话是展示世界观的重要要素不是吗?
ZUN
ボス戦を盛り上げるためには、重要ですね。でも、最低限の会話さえあればいい。むしろノベルゲームこそキャラクター命じゃないですか?
对于让BOSS战的气氛高涨起来,确实是必要的。但是,只要有最低程度的对话就好了。不如说这点在视觉小说中才是角色命脉吧?
龙骑士07
まぁ、そうですね。私の場合は、あくまでKeyさんやLeafさんの功績を踏襲してるだけですが。ただ厳密にいうと、ストーリーに対してキャラクターが配置されている場合と、魅力あるキャラクターありきで、彼らがシナリオを進めている場合とがあるんです。
私のは、実はキャラクター性がそれほど強い部類ではない。どっちかというとストーリー派。だから本当の意味でのキャラクターでは、ちゃんと作っている人には負ける。それが私の弱点ですね。
嘛,确实如此。不过我到最后都只是承袭Key与Leaf等前人的功绩而已。不过严密地说,将角色配置进故事中的时候,放入那些富有魅力的角色们,会出现他们来推动剧本的情况。
我实际上不是那种非常擅长赋予角色性的人。相对来说更偏向于剧情派。所以在那些真正意义的角色上,我敌不过那些匠心雕琢的人。这就是我的缺点。
ZUN
ノベルゲーでキャラクターが強すぎると、キャラクターが勝手に動くだけのゲームになりますよね。それってキャラクターがすごく魅力的だったらいいんですけど、やっぱノベルゲーはストーリーなのかな、と思いますよ。
视觉小说中角色个性如果过于强烈,就会变成只是角色会自己动起来的游戏。虽然这说明角色非常有魅力,是件好事,但我还是觉得,视觉小说果然还是在于故事啊。
龙骑士07
色々な作り方があっていいとは思うんですけどそれこそ私はKeyさんやLeafさんをお手本に、もっと個性的なキャラを学ばないと(笑)。
私にとってシナリオというのはお化け屋敷と一緒で、皆がこっちに集中しているときに、こっちから「ワッ」と出てきたら驚くだろうなとか。そういう計算が好きなんですよ。『ひぐらし』では、そこをギャグとホラーに振って、楽しく上げといて、急に怖くして落とす。あるいは落としておいて、ギャグで上げる。『うみねこ』も同じで、和やかなシーンの次に残酷なシーンという感じ。プレイヤーの心を右に左に振り回すことが楽しいんですね。だから私の場合は、まずスタッフを驚かせるところから始めるんです。
创作步骤上百花齐放,这是件好事,但正因如此我才更应该以Key和Leaf为模范,学习创造更有个性的角色(笑)。
对我来说剧本和鬼屋是一样的,当大家的注意力都集中在这里的时候,从这边「哇!」地蹦出来的话无论是谁都会被吓到。我非常喜欢这种算计。比如在『寒蝉』中,先摆弄一点搞笑桥段与恐怖剧情,调动玩家的情绪,然后冷不防地让他们掉入恐惧中。又或者是,在他们跌入谷底时,再用一点闹剧让心情回复。『海猫』也是一样,从和谐的场景一转惨绝人寰的场景。让玩家的心左右摇摆真是好玩。所以就我而言,就是要从能吓到团队成员开始。
ZUN
シューティングにもありますよ、もっと直接的に。右に誘導させておいて右で撃つとか。ただ僕は、完成まで誰にも見せないですね。僕も人を驚かせるのは好きです。だからこそ、テストプレイまで全部自分でやってしまう。
在弹幕游戏里也有这样的设计,不过更加直接。比如在把自机引导到右侧后从右侧射出子弹之类的。只不过,在完成之前我不会给任何人看。我也非常喜欢吓唬别人,所以直到游戏测试之前所有的部分都由我亲自操刀。
龙骑士07
それは驚きですね。てっきり身近な人にお試しプレイとかさせているのかと思ってました。それであの絶妙なバランスが作れるんですか?
这有点出乎我意料。我以为肯定是要把身边的人拿来当小白鼠之类的。这样做游戏还能创造出那种绝妙的平衡吗?
ZUN
あんまり人に見せると、自分が満足しちゃうからから(笑)。だいたい出来上がるまでは見せないですね。
バランスは自分で相当遊んでるので。これを言ったら「そうじゃない」と言われるかもしれませんが、同人ゲームを作っている人の中で、僕が一番自分のゲームを楽しんで、一番繰り返し遊んでいるんじゃないですかね。ほんとそればっかりやってます(笑)。
因为给太多人看的话,自己会陷入满足的情绪(笑)。大体上在制作完成之前是不会给人看的。
平衡方面,因为自己玩的次数相当多所以没问题。说这种话可能会被人反驳「才不是这样」,但我认为我是在同人游戏创作者中,最享受自己的游戏、会把自己的游戏来回玩最多次的人。我真的就是一直在干这些事(笑)。
ゲームの内側と外側
游戏的里侧与外侧
──
あくまでお二人にとってのキャラクターが、ゲームのシステムを作るためだったり、ストーリーを魅力的に語るための手段としてあるのだということが、よくわかりました。
ここで一つお伺いしたいんですが、お二人は「ゲーム」という概念を、どのように捉えられているんでしょうか?
我们已经清楚的了解了,对两位来说,角色既是为了游戏系统而存在的,也是一种把故事用富有魅力的方式讲述出来的手段。
在这里我有一件事情想要请教二位,您们是如何理解「游戏」这一概念的?
龙骑士07
私については、実は今日のテーマとは真っ向から対立してしまうかもしれないけど、ノベルゲームというのは、プレイヤーがゲームとして接するからゲームになるのであって、単品はゲームではないと思っているんです。映画や漫画、アニメとは異なるメディアというだけで。ただ、『新世紀エヴァンゲリオン』を観て、設定をああだこうだ言うことにはゲーム性らしきものがあると思いました。
就我而言——虽然可能和今天的主题针锋相对——对于视觉小说,我认为直到玩家和游戏接触的那一瞬间,它才真正成为一个游戏。
单论其本身,我认为它并不是游戏。它只是和电影、漫画和动画不是同一种媒体罢了。不过,看了『新世纪福音战士』之后,我觉得在扯一大堆设定这一点上非常接近游戏性。
ZUN
それは僕もそう思います。プログラムで画面に文字が出ていればゲームなのかというと、決してそうではない。最初から「ノベルゲーム」と言っているように、「ノベル」なんですよ。ただの読み物です。
でもたぶん、今はそういうメディアが求められているんじゃないかな。
我也是这么认为的。编程后在画面上显示出文字就能称其为游戏,绝不是这样的。就像我们一开始就称它为「视觉小说」一样,是「小说」啊。只是一种读物。
不过大概,现在对这种媒体的需求还是很高吧。
龙骑士07
そういうことなんですよ。『ひぐらし』や『うみねこ』というのは、あとがきでわざわざ「皆さん推理をして遊んでね」と、遊び方の指南をしているんです。普通、小説というのは指南なんてしないですよね。「みなさん、主人公の心情を考えてみて下さい」って、国語の教科書じゃないんだから(笑)。
正是如此。以『寒蝉』和『海猫』为例子,在后记上我还特地写了「大家也来一边推理一边玩吧」,给大家指导游玩方法。一般来说,小说也不会有什么指南对吧。「各位,请站在主人公的角度上思考一下吧」,说这种话不就像语文教科书一样了吗(笑)。
ZUN
推理小説だったら、犯人を考えますけどね。
如果是推理小说,确实是会思考犯人是谁。
龙骑士07
そうですね。でも冒険小説を読んでいたら普通は読むだけで終わっちゃうじゃないですか。そこをひねくれて「主人公にもっとうまくやる方法はなかったでしょうか」なんて水を向けてみたら、ゲームらしくなる。
『カイジ』とか面白いじゃないですか。「どうやったら金を稼げる~」とか「どうやったら出し抜ける~」とか。あれを読み終わった時、友達と一晩議論しましたもん。「エスポワールを星3つ以上で降りるにはこうするだろ」と言って。その読んだ後の盛り上がりにゲームが発生するわけです。
是这样。不过读冒险小说的话不就是很普通的看完完事了吗。但是如果在「主人公就没有更好的解决办法了吗」之类的问题上纠结与思考,就变得像游戏了。
『赌博默示录』之类的不就很有意思吗?「怎样才能赚到钱啊~」还有「怎样才能逃出去啊~」什么的。看完那个之后,我和朋友议论了一晚上。「他在艾斯波瓦鲁上拿到3颗以上的星星下船的话会这样吧」,聊着这种东西。在阅读结束之后的这段情绪高涨的时间内就会产生游戏。
──
すごく面白いお話ですね。つまり、今日におけるゲーム性というのは、基本的に消費者の受容の問題であると。

そこで竜騎士07さんは、物語を魅力的に送り出すオプションの一つとして、ゲーム的なパッケージングを施しつつ、パッケージの外でゲームを仕掛けている。
他方、ZUNさんはその逆の方向性で、STGというパッケージゲームのゲーム性を活性化するために、パッケージ外でも自己増殖しうるキャラクターや物語を利用している。

いずれにしても、所与の条件に対して、プレイヤーがいかに能動的に抗う動きをするかということがお二人が考えるゲームの本質なのかなと感じました。
真是有意思的话题。也就是说,今天谈到的游戏性,基本上是关于消费者接纳能力的课题。

龙骑士07先生,在进行游戏上的统合的同时,作为讲好故事的一个选项,在游戏的范畴之外也做好了布置。
另一边,ZUN先生的方向则完全相反,为了活化STG这一实体游戏的游戏性,而利用了在框架外也可以自我增殖的角色与故事。

我在想,无论对哪位来说,对于所给予的条件,玩家们能如何能动地对抗游戏行动,这一点是不是就是两位所共同认为的游戏本质呢?
龙骑士07
そう。私はプレイヤーに自分で遊び方を考えてほしいし、思考を外に広げてほしいんです。

トレーディングカードゲームでも、ただ数字を比べっこしているうちは、ただ数字のゲームなんですよ。ZUNさんっぽく言い換えると、「ここに寄って、ここで弾幕を避けてくださいね」というのをやっているうちはゲームに遊ばれているんですよ。そこで自分なりに発想して、敵キャラクターの攻撃に性格を見出してみたりだとか、あるいは極論だけど「こうやって避けろ」というのに逆らうとか(笑)。

たしかフランドールだったかな。「恋の迷路」っていう弾幕がありますよね。あれは正しいルートはぐるぐる回りながら避けるんだけど、私は天の邪鬼だったので「どれだけ下で避けれるか」とかやってました(笑)。
没错。我希望玩家能够自己思考游戏方法,也希望他们能把思维扩散开来。

就算是集换式卡牌游戏,如果只是比较数字大小的话,就只是数学游戏而已。用ZUN先生的风格来说就是:「请往这边靠,然后请在这边回避弹幕喔」,在做出这种行为的时候就已经是在被游戏玩了。而尽力去想象,尝试从敌人的攻击中找出其性格,又或者更极端的明明是「给我这样躲」但偏不这样做之类(笑)。

我记得是芙兰朵露,有个叫做「恋之迷宫」的弹幕对吧。那个的正确避法是来回绕圈,但我的性格有点叛逆,所以就想着「我能下避多久呢」然后真的这样玩了一把(笑)。
ZUN
そういうこともできるようになってますね。
大丈夫。作る人間はそこまで読んでひねってます(笑)。
这点我也是确认过并让它得以实现的。
没关系,毕竟原作者是这样一个会考虑到这一步的古怪人类(笑)。
龙骑士07
だから、それもシューティングの遊び方だと思うんですよ。もしもシューティングで最終面をクリアすることだけがゴールという人がいたら、それはちょっとつまらないことだと思うんです。
所以我认为这也是弹幕游戏的一种玩法。如果有人是只以弹幕游戏的的通关为最终目标的话,我感觉会有点无聊。
ZUN
や、僕はそれでいいと思ってますよ。最終面までクリアするのが目標とか、点数で目標を決めるとか、個々人に目標があれば充分です。まあみんな変な遊び方をしてくれますけど。
哎呀,我是觉得就这样就好了。不管是以通关最终面为目标,还是以分数作为目标,各人有各人的追求,这就足够了。虽然大家总是爱玩一些奇怪的玩法就是。
龙骑士07
画面の上で敵をやっつけるとアイテムを吸引するじゃないですか。あれが嬉しくて画面の上ばかりにいると、だいたい出会い頭にぶつかるんですよ。だから初プレイの時は慎重にいくから2~3面まで行けるんですけど、途中で欲が出て画面の上でプレイすると1面も満足にクリアできなくなる(笑)。
在画面上方打倒敌人后道具不是会吸引过来吗?然后我就激动地一直呆在屏幕上方,基本上都会跟敌人撞个头破血流。所以在初见时谨慎操作的话一般都能打到2~3面,但在中途就会因为涌现的欲望而停留在屏幕上方,结果就连1面都没法完美通关(笑)。
ZUN
それは当然でしょう。上に行くというのは危険なことです。稼ごうと思うと、クリアできなくなりますね。
那是当然的。往上走就是非常危险的事情。一心想着赚分数的话,就会变得没法通关了。
龙骑士07
でもそれが遊び方の幅ってことじゃないですか。
但是这不就属于拓展玩法的范畴吗?
ZUN
うーん、いやあれはどっちかというと逃げなんですよ。点数を稼がなきゃクリアできないとか、点数を稼ぐことでクリアに近づくという考え方の方が、本来正しいはずで。でもそうするとうまい人とそうでない人の差がすごく付いてしまう。
今はうまい人は点数を稼いで当然だし、ヘタな人はとりあえずクリアしようと思うじゃないですか。そこを隠すために、稼ぐとクリアが難しくなるようにしてある。実は稼いだら優しくなるように考えられたゲームは、結構あります。でも点数を稼ぐことでボスが強くなった方が、平等に見えるんです。デザインとしては不自然なんだけど、結果としてそう見えるという。
嗯——不对,那个硬要说的话是借口。不打分就没法通关啦,点数打得越多就越接近通关啦,这种想法本来应该是正确的。但是这样的话,高手和普通人之间的差距就会拉得很远很远。
现在的话高手可以理所当然地打分,而不擅长的人就会想总之先通关再说对吧?为了把这点差距隐藏起来,我就把游戏设计成了越专注打分越难通关。事实上,有不少游戏的想法是越打分越简单。但是赚的分数越多BOSS就变得越强,这样做似乎更平等。设计层面上来说有些不自然,但结果上是这样的。
龙骑士07
稼いで優しくなると、なんだかヌルいゲームに感じてしまうでしょうね。
打的分数越高就越简单,总感觉就成了不上不下的游戏。
ZUN
ただ僕は、これまでの話と矛盾するようですが、ゲームはいわゆる「ゲーム性」のためだけにあるわけじゃないとも思っていて。『東方』という大きな世界があって──まあゲーム自体が一つの世界ではあるんですが、それがゲームという形をとっているだけなんです。僕はほかに小説を書いたりだとか、漫画の原作とかもやるんですけど、それがスムースにできるよう世界を作ってます。
細かい所をあまり決めないようにしているのは、そういうことをやりやすいように、ですね。
虽然这和刚刚我说的那些话矛盾,但是我认为,游戏不是仅仅为了「游戏性」而存在的。

『东方』是一个庞大的世界──虽说游戏本身就是一个世界,但它仅仅是以游戏这个形式存在而已。我另外在写小说,还在给漫画当原作者,这也是为了让一切能顺畅进行下去而塑造着世界。

在细节上我几乎都没有下定论,这也是为了让我的工作干起来更容易。
龙骑士07
逆に言うと、そういう意味では『東方』ないし『うみねこ』のキャラクターを借りてきて、原作でやっていない動きをさせるのも、立派なゲームだと思うんですよ。
反过来说,在这层意义上,能借用『东方』或者『海猫』的角色让他们做出原作中没有的行动,我认为这也是优秀游戏的象征。
──
パッケージゲーム内での狭い意味での「ゲーム性」に発想が縛られてる場合の典型的な反応として、『ひぐらし』や『うみねこ』に選択肢がないことへの反発があったんじゃないかと思うんですね。
そこで、あえて選択肢をなくしたところにも、竜騎士07さんの「ゲーム」に対する考え方が表れてると思うんですが、ご自身の意図としてはいかがですか?
对被制品游戏内狭义的「游戏性」束缚了思考这一点,我认为典型的反应就是对『寒蝉』与『海猫』没有选项分支这一点的反感。
所以我认为,在敢于消去选项分支这一点上体现了龙骑士07先生对「游戏」的思考。您自身的意图又是怎样的呢?
龙骑士07
最初の1、2本は、実は選択肢を付けようと思っていたんですよ。だからあとがきに未練がましく「完全版には選択肢を実装します」とかほざいていたんで。
ところが2作目の感想でも、「選択肢ないんですか」とか「惨劇を回避できないのは変です」とか言われて、「選択肢がないのがうちのスタイルです」って開き直ったんです。(笑)
最开始的一两个作品,实际上我想过加上选项分支。所以在后记里依依不舍地胡扯了一些「完整版会加上选项分支」之类的话。
可是在对第二作的感想中,不少人说什么「没有选项吗」还有「不能回避惨剧这一点太奇怪了」,我们就干脆将错就错,说「没有选项正是我们的风格」。(笑)
ZUN
でも家庭用に移植した時には、選択肢が追加されたでしょ。
但是移植到主机上的时候,追加了选项分支对吧。
龙骑士07
そこは結構議論しました。同人ゲームではそれでよかったんですが、一般ゲームには、「選択肢あらずんばノベルゲームにあらず」みたいな空気が非常に根強くありますからね。昔プレイステーションで『やるドラ』シリーズってあったじゃないですか。あれなんかは良くできた作品なのに、選択肢がないって理由で不当な低評価を受けたことがありました。
そう考えると、同人プレイヤーに比べて、一般プレイヤーの中では、選択肢はまだ外しきれないファクターなのかもしれない。
关于这一点我们争论了很久。对同人游戏来说这样没问题,但对一般的游戏界中,「没有选项就称不上视觉小说」这种思想在玩家中非常的根深蒂固。以前在PlayStation上不是有个『YARUDORA』系列吗?那明明是个优秀的作品,却因为没有选项而受到了不合理的低评价。
这样想来,和同人游戏玩家相比,在一般玩家中,选项依然是一个不可或缺的要素。
ZUN
結局、ボリュームなんですよね。「選択肢=ボリューム」という考え方なんです。そういうボリュームを求める人がすごく多いので、商用ゲームの場合だと、どうしても選択肢を付けないといけない。RPGだったらやり込み要素とか。もう無理矢理ボリュームを付けるんです。
说到最后,还是游戏容量的问题。这种观点就是认为「选项分支=容量」。追求这种容量的玩家不在少数。所以对商业游戏来说,无论如何都要加上选项分支。是RPG的话就加上挑战要素。这已经是在强行添加容量了。
龙骑士07
私の場合、分岐の部分を書かずに、もっと後ろに長い話を書きたいんです。
つまり、バッドエンドルートを書く余力があったら、本来の話を長くしたい。あと見え見えの選択肢って嫌いなんですよ。昔のゲームブックだと露骨な選択肢がありますよね。
对我来说,我更想跳过分歧的部分,多写点后面的故事。
也就是说,有写坏结局的余力的话,我更想把本来的故事写得更长。以及我很讨厌那种结果显而易见的结局。以前的游戏书里就会有那种露骨的选项。
ZUN
間違えた選択肢に行ったら即ゲームオーバー(笑)。けど、まともなプレイヤーだったら、そんなのは選ばないから、実は全然ゲームになっていない。
选择错误选项的话游戏立刻结束(笑)。但是,那种正经玩家完全不会选择这种选项,实际上完全成不了游戏。
──
結局、『ひぐらし』は選択肢を排除したことによって、ノベルゲーム一般の「ここを選んだらこうなる」という構造を逆手に取って「ループする世界」自体を対象化したようなものになっているという評価が、批評家の東浩紀さんの『ゲーム的リアリズムの誕生』をはじめとしてよく指摘されているわけです。そういう、サウンドノベルの構造をメタに捉えていこうという意識は、はじめからあったんでしょうか?
归根到底,『寒蝉』通过去掉选项这一行为,和视觉小说中常见的「选择这个就会变成这样」的构造反其道而行之,成为了以「循环的世界」自身为对象的游戏。
这一评价,是批评家东浩纪先生在『游戏现实主义的诞生』中第一次提出的。这种超越有声小说本身构造的意识,是从一开始就有的吗?
龙骑士07
それはド最初にはなかったですね。書き始めて1年くらい経って、つまり第2話からやっとやり方がわかってきてからという感じです。私自身が全部を悟って書いているわけじゃないです。書きながら世界観を研磨していったんですね。今は感覚で書いていますけれども、やりながら覚えていったところもあります。
ただ、どんなノベルゲームでも、分岐していてエンディングに行って、リセットを押したら最初から始まるのは当たり前じゃないですか。私にとっては、それは自明のことだったので、自然にそういう話になっていきました。
最一开始的时候是没有的。在写了1年左右,也就是说从第2话开始我才终于弄清了该走的方向。我本人并不是在理清一切后再写作的,而是一边写作一边琢磨世界观。现在是在凭感觉写作,不过也有在工作中学到的东西。
不过,无论是怎样的视觉小说,不都是理所当然地经过分歧到达结局,按下重置按钮,从最初开始吗?对我来说这是不言而喻的事情,所以世界观很自然地就变成这样了。
──
その意味で、『ひぐらしのなく頃に 礼』の賽殺し編の結末は非常に示唆的でしたね。リセット可能な構造の世界観と、梨花に同一化したプレイヤーのメンタリティに対して、人生の一回性を突きつけるというラディカルな落とし前の付け方をされていたと思うので。
这一层意义,在『寒蝉鸣泣之时 礼』赛杀篇的结尾处暗示得很深。构造为可重置的世界观,与和梨花同化的玩家心理相对,将人生的唯一性摆在玩家眼前,以这样一种触及根源的方式为这一篇章做了了断。
龙骑士07
そうですね。一番いいAのエンディングと、それとは別のBやCのエンディングがあったとしたら、BやCはハズレだと思うじゃないですか。でも私たちの人生においてAもBもないわけで、努力が可能な範囲内で一番よいものを目指すのは人間として生きる上でとても大事なことだと思うんですよ。

でも得た結果に対して「あっちより劣るから、これはナシ」と言うと、何と言うか…シューティング風に言うと「聖なるワンコイン」というかな。コンティニューが可能だと、そのプレイって陰るんですよね。ワンコインで残機数3機でどこまでいけるかを競うのに、コンティニューが無限にできちゃったらせっかくの生き死にの概念が薄れてしまうんですよね。ゲームセンターでもそうなんですよ。

ワンコインクリアにこだわっていた頃は輝いていたのに、マネーパワーで50円玉を積み上げてコンティニューをしちゃうと、そのゲームの魅力が薄れてしまう時ってあるんじゃないですか。
正是这样。有最好的A结局,在这之外如果还存在B和C结局的话,不就会觉得B和C不够好吗?但是在我们的人生中,既没有A也没有B。尽全力争取最好的结果,我认为这是在人的一生中非常重要的事情。

但是对最后的结果说「比那个差,这次不算」,该怎么说呢…用弹幕游戏的风格来说就是「神圣的一枚硬币」吧。就算能够续关,这次游戏里也蒙上了阴霾。一枚硬币换残机数3个,就这样挑战着自己能走到多远,如果能无限续关的话好不容易才产生的生与死的概念不就淡薄了吗?

在街机厅里也是这样。固执于一币通关的时光是那样的闪耀,而使用金钱力量,投入一个个50円硬币来续关的话,这个游戏的魅力也会被冲淡,不是吗?
ZUN
だからコンティニューしたらバッドエンドなんですよ。本当にゲーム好きな人のメンタリティってそういうもんじゃないですか。
所以一旦续关就会是坏结局。真正的游戏热爱者的心理就是这样。
龙骑士07
そういうところの感覚を描いてみたかったんですよ。『ひぐらし』っていうのは皮肉にも第8話までの過程で、いいエンディングをループして探す物語になっていたわけなんだけど、そのせいで、いいエンディング以外のエンディングは「良い未満」であるという考え方が、後味の悪さとして残っていたので、それを是正したかったというのがありましたから。
我正是在尝试着描绘这种感受。说起来有些讽刺,『寒蝉』到第8话为止的过程,都是不断循环来寻找好结局的故事,但也因为这样,好结局以外的结局就成了「不够好」的结局。这种观点事后给我留下了很不愉快的感受,所以在之后也有意改正这一点。
ゲームにとって「音」とは何か
对游戏来说「声音」是什么
──
お二人とも、ご自身のゲームデザインの中で、サウンド面にはかなりこだわりをお持ちのようですね。そういうふうに「音」を重視されるようになった理由や、ゲーム全体の中での役割をどう考えているか、お聞かせください。
两位在设计自己的游戏的时候,似乎对声效方面抱有相当强烈的执着。像这样重视「声音」的理由,还有其在游戏整体中的地位,我想请两位谈谈自己的看法。
ZUN
僕は、大学入った時にはプログラムもできなかったですし、音楽をやりたかったんですよね。でもバンドとかではなく、ゲームミュージックが作りたかったんです。それでパソコンの勉強をして曲を作って。

でもゲームミュージックはゲームがないと流すことができないので、仕方がないから自分でゲームを作った。そこがスタートなんです。ゲームミュージックって、普通の曲とちょっと違うんですよ。決して主役ではなく、ただゲームを盛り上げるためだけにある。あくまでBGMで、メインはゲームにあるような曲を作りたかった。

その考え方は今も一緒です。ゲームミュージックが好きな人って、だいたい音楽が先に来ちゃうんです。「この音楽は誰の作曲か」とかね。僕はそれがあまり好きじゃないんですよ。
我在刚上大学的时候还不能编程,就开始想做音乐了。但是不是像乐队之类的那种,而是想做游戏音乐。然后我就一边学习使用电脑一边作曲。但是游戏音乐没有游戏就没法播放,实在没办法我才开始制作游戏了。这就是起点。

游戏音乐,和普通的歌曲有一点点不同。它绝不是主角,仅仅是为了炒热游戏的氛围而存在。说到头只是BGM。所以我主要还是做大概可以放进游戏里的曲子。

这种思路到现在也是一样。喜欢游戏音乐的人,大多是音乐优先。「这首音乐是谁作曲的?」之类。我并不是很喜欢这种行为。
龙骑士07
ゲームミュージックの歴史っていくつか系統があって、その中でもシューティングゲームからの系譜は大きいですよね。ZUNさんの音楽のルーツも、やはりそこですか。
游戏音乐的历史也分为数个系统,在这其中射击游戏衍生出的谱系也是相当之大。ZUN先生的音乐的根源,应该就来自这里吧。
ZUN
そうでしょうね。アーケードのものなら、大抵のシューティングは遊びましたから。好きだとかいうレベルじゃないくて、もうそれしかない。生活の一部です。そこで培われた何かだと思います。
シューティングって、サウンドノベルなんかと比べても、実はゲームとしてそんなにインタラクティブではないんですよね。まず音楽があって、それに合わせて演出するのが容易いんです。だから僕はシューティングをやっているというのもあるんです。他のゲームより、音楽の良さがゲームの良さに繋がるし、ゲームが良ければ音楽も良くなる。いい効果を生むんです。
说的没错。街机上大部分的弹幕游戏我都玩过了。已经不是喜欢的级别了,是非它不可。它就是生活的一部分。我就是在那里被栽培起来的。
弹幕游戏,比起有声小说等等来说,实际在游戏上并没有那么强的互动性。先设置一个音乐,再配合其进行演出是非常容易的事情。所以我选择做弹幕游戏也有这层考量在里面。比起其他类型的游戏,音乐的优劣与弹幕游戏的优劣更加紧密相关,游戏优秀的话音乐也会显得优秀。这样能产生不错的效果。
龙骑士07
なるほど。音をゲームの進行の中でインタラクティブに使うという性格は、確かにサウンドノベルの方が強いのかもしれない。
「サウンドノベル」という言葉の中に、「サウンド」が4文字あって「ノベル」は3文字しかない、というのが私の持論でもありますから(笑)。だから『ひぐらし』でいただいた感想で一番悲しかったのは、「怖かったのでボリュームを0にしてプレイしました。あまり怖くなかったです」という……。
原来如此。在游戏的进行中用音效产生互动的这一性质上,有声小说确实说不定会更强一些。
「有声小说」这个词汇里,「有声(サウンド)」有4个假名而「小说(ノベル)」只有3个,这是我一直以来的主张(笑)。所以受到的关于『寒蝉』的感想中最让我伤心的就是「因为太害怕了所以静音着玩了下去。这样就不怎么可怕了」这种……
ZUN
それはひどい(笑)。サウンドノベルってチュンソフトが作ったわけじゃないですか。あれは本当に考えられたゲームですよ。ただ1作目の『弟切草』って、ストーリーがほぼ無くて行き当たりばったりで分岐して、分岐したら何が起きるかというと、ただ怖がらせるだけという(笑)。本当に新しいジャンルを作りたかったんだなというのがわかる。
太惨了(笑)。说到有声小说不就会想到CHUNSOFT的作品吗?那个真的是经过了深思熟虑的游戏。但是处女作『弟切草』,几乎没有故事,毫无准则的分歧点,在分歧后一定会发生些什么,这种只是单纯地在吓人而已(笑)。不过我能明白他们是想要创造一种新的流派。
龙骑士07
私もあれで衝撃を受けた一人で。まあビックリ箱みたいなものですけど。ただ耳で泣かせる、怖がらせる部分はすでに結構入ってましたね。読ませることで伝える感情と、聴かせることで有無を言わさず分からせる感情は違うので。
ノベルゲームは、絵と音楽と文字の三つで相手の感情を揺さぶりにいくんですが、その内サウンドが占める比重は大きい。シューティングだったら3分でも長いと思うんですが、ノベルゲームの場合は、1シーンが下手すれば10分に及ぶことだってあります。そこでずっと同じ曲を流されたら、どんなにノリノリな曲でもすぐ飽きちゃう。長く聴かせるのはやっぱり難しいですね。ノベルゲームの音楽って、シーンが変わった後にすぐ喜怒哀楽を知らせる必要があるんですよ。だから私は作曲家さんに、「最初の5秒で感情を伝えられない曲は使いにくい」ってよく言うんです。
我也是受其冲击的其中一人。虽然说这就是像一个惊吓箱一样的东西。不过在耳边轻泣,传达恐惧的部分我已经在作品里添加了不少。通过阅读而传达到的感情,与通过声音不容分说填入心中的感情是不一样的。
视觉小说,是以画面、音乐与文字这三个要素来动摇玩家的感情防线的,在这其中音效所占的比重相当大。对弹幕游戏来说,3分钟就已经够长了,但视觉小说的一个场景一不小心就会做到将近10分钟的长度。这种情况下如果一直放的是同一首歌的话,不管怎样轻快的曲子也会听腻的。让玩家长时间听一段音乐真的很难。视觉小说的音乐,必须要在场景转换后的瞬间让玩家知道喜怒哀乐。所以我对作曲家说:「不能在最开始的5秒内传达感情的曲子会很难用」。这种话说了很多次。
ZUN
読む人によってタイミングが変わるから、シーンとぴったり合わせるのは難しい。となると、出だしからバーンと入る曲を作るしかないですね。それなら押した瞬間に盛り上がる曲がいい。そういう使いやすい曲の中で、カッコいいのとか怖いのとか、何パターンか用意しておく。
读者不同,切换时机也会不同,音乐想和场景恰好一致是很难的。这样想来,就只有从最开始就是高潮这一条路了。在点下鼠标的瞬间就能带起气氛的曲子是最好的。在这种方便使用的曲子中,分成爽快类恐怖类等等,会准备好几种套路。
龙骑士07
そうです。たとえば作曲家さんの中に、前奏をとても大事にされる方がいらっしゃるんですけど、1分半も前奏に使われると下手するとサビにいく前に次のシーンにいっちゃうことも(笑)。
正是如此。比如说作曲家之中,也有那种非常注重前奏的老师,但是1分半都耗在前奏上的话一不小心就会在播到副歌前就跳到下一个场景了(笑)。
ZUN
僕は音楽理論にはあまり詳しくないんですが、曲を書くときは感覚としてビックリさせようとしてますね。

突然変えてみたり、ちゃんと音楽を勉強している人からするとありえないんでしょうが。それは僕がゲームでプレイヤーをビックリさせたいのと同じことなんです。特にシューティングは集中して音楽を聴くことになるので、キャッチーな方がいいわけです。他のゲームだとそれでは飽きちゃうんですけど、シューティングはプレイ時間が短いので、キャッチーじゃないとむしろダメ。

そういうメロディーがしっかりしていて、印象に残るような曲を作れるのがシューティングってジャンルなんです。
我并不十分了解音乐理论,但在作曲的时候会让曲子在感觉上恰好相称。

突然的转换,在好好学习音乐的人看来是完全不该有的吧。这个和我想用游戏把玩家吓一跳是一回事。特别是弹幕游戏里会集中精神听音乐,所以旋律鲜明的曲子会更好。其他游戏里放这种歌很容易听腻,但弹幕游戏的游玩时间很短,不是旋律抓耳的歌甚至还不行。

以这种旋律为基础,创作能给人留下深刻印象的曲目,这就是弹幕游戏的流派。
龙骑士07
ZUNさんの曲は、ずっとテンション上がりっぱなしじゃないですか(笑)。
ZUN先生的曲子,难道不就是一味地情绪高涨吗?(笑)
ZUN
下げられるところがないですよね。まず1面でつまらないと、ゲームを遊んでもらえないじゃないですか。だから1面でまず盛り上げる。すると続く2面3面も下げるわけにいかなくて、どんどん盛り上げていく。で、結局最後まで盛り上がっちゃうんです。
完全没有收敛的地方。首先如果第1关就很无聊,不就没人会玩了吗?所以在第1关就要先炒热气氛。然后到了第2第3关也不能让情绪走下坡路,只能一点点往上推。就这样到了结尾,结果就是全程情绪高涨。
──
こうして考えてみると、音楽による感情操作の技術というのは、先程までのゲーム性の話で出ていた、プレイヤーの能動的な挑戦を待つということと拮抗している部分があるような気がしますね。
使い方によっては、プレイヤーに対するある種の詐術として機能するというか。映画監督のルイス・ブニュエルは晩年の数作品でアンダースコア(背景音楽)をまったく使わないんです。音楽家の菊地成孔さんは、そこに「音楽の強制力」の疑義を見て、注目されていたりするんですが……。
这样考虑的话,所谓基于音乐的感情操纵这一技术,也包含了先前提到的游戏性的话题中,期待与对抗玩家能动性的挑战,我是这样认为的。
根据用法的不同,也会变成对玩家的某种骗术吧?电影导演路易斯・布努埃尔晚年的数部作品里完全没有加入背景音乐。音乐家菊地成孔先生,提出了「音乐的强制力」这一点异议,并提醒大家注意……
ZUN
そう。どちらかと言うと自分の考え通りに考えさせたい。だから自分がいいと思う曲を作るんですね。そうすると同じような感性の人が喜ぶ(笑)。
音楽は宗教なんですよ。音楽はどういう風に作ってもその影響力がそのまま伝播するし、ひとつの音楽に対してみんなが違う考えを持つということはほとんどない。シンプルすぎて遊び心を入れられないんです。効果音だって、爆発の時に変な音は出せないですから。やっぱり爆発だとわかるような音じゃないといけない。そこで遊び心をあまり出せないんですよね。音楽も効果音も、みんなが求めているものを出している。みんなが聴いて理解できるものじゃないといけないんです。
没错。要说的话还是想让玩家按自己的预想来思考。所以要做能让自己满意的曲子。这样的话和自己一样感性的人就会开心(笑)。
音乐就是宗教啊。音乐是怎样做出来的,其影响力就会怎样传播出去,对同一段音乐,大众几乎不会有不同的感受。太普通了,都没什么玩心。效果音也是,爆炸时不会出现奇怪的声音。毕竟一定要能让人知道这是爆炸的声音。在这里我不会有什么玩心。不管是音乐还是效果音,都要呈现大家期望出现的东西。必须要让大家听了之后就能理解,一定要这样。
龙骑士07
いやあ、音楽の力は偉大ですよね。例えば何てことはない背景でも、そこに怖い音楽を流せば、それだけでホラーになるわけです。音楽が感情をコントロールする力って絶大だと思います。

逆に、そこであえて、みんなが期待しているのと違う音楽を充てるということもあります。ユーザーの方も無言じゃなくて、たまに私のところにも「ここのシーンでこの曲は違うと思います」とか来る時がありますもの。ユーザーの方は自分が想像している音楽が代弁されるととても嬉しくなるんですよね。「僕の咀嚼している感情は正しいんだ」と。
それがズレていくとユーザーの方は違和感を感じる。ホラーの表現の中で、明らかに違う音楽を流しておいて、「あれ?」という違和感を感じさせるというのは『ひぐらし』でもほんのちょっとだけ使ったことがあります。

とにかく音楽は相当強力な感情コントロール術ですので、上手に使いこなせば、これもまたゲームの道具にできるわけですね。
哎呀,音乐的力量真是非常伟大。打个比方,就算是什么都没有的背景,放一首恐怖的背景音乐,仅仅这样就能变成恐怖片了。我认为音乐操控感情的能力是无比巨大的。

而反其道而行之,我有时也会插入一些与大家的期待相违背的音乐。玩家并不是沉默的,偶尔也会受到类似「这个场景放这首曲子是不是不对」之类的留言。玩家为自己想象的音乐代言,这件事很让我高兴。就像在说「我所体会的这份感情才是正确的」一样。
产生差异后玩家也会感到违和。在恐怖的表现中,播放明显不对的音乐,让人产生「诶?」这样的违和感,这种手段在『寒蝉』中也只用了一点点。

总而言之,音乐是相当强力的感情操纵术,好好运用的话,它也能作为游戏的道具之一。
──
『東方』の音楽は、二次創作のユーザーたちによってゲーム本体の文脈から切り離されて、キャラクター同様にいろんなアレンジをされていますよね。そういう打ち返しには、先ほどの話題にあったような、ある意味でのゲーム性がある気がしますが。
『东方』的音乐,经二次创作者之手从游戏本体条理中分离开来,和角色一样被进行了各种各样的改编。两位认为在这种回应中,是否也有前面提到的某种意义上的游戏性呢?
ZUN
アレンジを作るのは、もうゲームじゃないんですね。ゲームに合うように作る必要がないので、それはゲームミュージックじゃないです。音楽自体としては、すごく自由でいいと思いますけど。
その一方で、今風のゲームだと環境音だけってことも多いですよね。それが何故かはハッキリしてて、ゲームがリアルになったからです。ゲーム自体がリアルになれば、音楽は不自然になるんです。昔のゲームは画面が物足りなかったから、想像力をかきたてるために音が必要だった。でも四六時中喋るようなゲームだったら、音楽はいらなくなるんですよ。
再编曲已经远离游戏了。没有配合游戏创作的必要,也就称不上游戏音乐了。不过对音乐本身来说,自由创作就好了。
另一方面,现如今的游戏里只有环境音的不在少数。要明说这是为什么的话,就是游戏变得更真实了。游戏变得更真实的话,音乐就会显得不自然。过去的游戏的画面表现比较贫乏,所以能够挑起想象力的声音是必要的。但是那种一刻不停地说话的游戏的话,就不需要音乐了。
龙骑士07
ただ、私は専門学校で映画の授業を受けていたから申し上げるんだけども、たとえば映画という媒体にあって、音楽を捨てるということは私は挑戦方向が逆だと思うな。小説の世界においてそれをやるのは正しい方向だと思いますけど、映画という、聴覚に訴える世界で聴覚を切り捨てるのは挑戦の方向が違うと思う。
例えて言うならば、競争する人が「二本足で速く走るのは当たり前だ、僕は片足ケンケンだけで両足より速く走る方法を編み出してみせる」っていうくらい滑稽な話ですよ。せっかく、目と耳に訴える映画やゲームの世界にいながら、「僕は耳ではやりません」というのは。ただ「目で見るだけで音以上のことをわからせてやる」という挑戦ならいいですよ。でもあえて耳を捨てるのはどうだろう。
不过,正是因为我曾在专门学校学习电影的制作,所以譬如说在电影这一媒体上,舍弃音乐这一行为与我的挑战方向是正相反的。在小说的世界中这是正确的方向,但对电影来说,从这个诉之于听觉的世界中切断听觉,我认为是弄错了挑战方向。
要举例的话,这就像是竞争者说了「用双腿快跑是理所当然的事情,我要找出只用单脚跳就能比双脚跑得更快的方法」一样滑稽的话。好不容易才立身于诉之于眼与耳的电影和游戏的世界,「我要放弃听觉」,说这种话算什么事儿啊。只是「只用视觉就展示出声音之上的事物」这种挑战就够了。强行舍弃声音这种实在是……
ZUN
耳は捨ててないです。サイレント映画は、音が重要だからサイレント映画なんですよ。音があってもなくてもいいんだったらサイレント映画なんてないですよ。サイレントにすることが重要なんです。それはもう音のひとつなんです。食べ物屋に来ても、昔はこんな音楽は流れてなかったですよ。それにすごく違和感を感じているんですよね。「そういえば昔の食べ物屋ってほとんど曲が流れてなかったなあ」と思って。今は曲が流れていて当たり前じゃないですか。その曲で店の雰囲気が決まるんですよ。なくてもいい。
だから、僕はBGMじゃない音とか声とか効果音で、空気感を出せるんじゃないかと思ってるんです。自然界には曲は流れてないわけですから。
不是舍弃听觉。无声电影正是因为声音重要才会是无声电影。并不是说声音无所谓才成了无声电影。无声是非常重要的。它也是声音的一种。以前去餐厅的时候,餐厅里不会像这样放音乐。人会对这件事感到强烈的违和,心想「说起来以前的餐厅基本都不怎么放音乐啊……」。现在放一点背景音乐不是理所应当的事情吗?这首音乐就会决定店内的氛围。没有也没关系。
所以我在想,不用BGM,用声音、人声等音效,也一样能展现出氛围。毕竟自然界是不会有背景音乐的。
演出──スプリクトと分業
演出──剧本与分工
ZUN
ちなみに竜騎士07さんは、スクリプトの演出まで全部ご自身でなさるんですか?
对了,龙骑士07先生连剧本的演出也是亲力亲为吗?
龙骑士07
スタッフでやってますけど、最後は私が調整してます。シナリオを書いている最中に、あらかじめ演出を見込んで「こうしてください」と書くこともありますが、多くの場合は最後の最後ですね。
むしろシナリオを考えている最中は、あまり演出は考えないようにしてるんです。
是由其他团队成员完成的,但最后我会进行调整。虽然偶尔也会在写剧本的途中,事先预想好演出后写上「请这样做」,但多数情况下都是在最后的最后才做指示。
不如说在思考剧本的时候几乎都没法思考演出的事情。
ZUN
そういうのって自分でやりたくなりませんか? 自分でやるのが一番楽な気がするんですが。
这种东西难道不会想自己来做吗?。我感觉自己做是最快乐的。
龙骑士07
本当は全部やりたいんですけどね。今はスタッフに仮のものをぶち込んでもらって、時間とかタイミングを最後見る感じで。だんだんシナリオが長くなってきて、今はスタッフの力を借りないと……。昔に比べたらだいぶ演出が凝ってきたのもありますが。
其实我本来想什么都自己来做。如今的做法就是把不成熟的想法交给其他成员,时间和时机等放在最后来看。剧本变得越来越长,现在不得不借用团队成员的力量……虽然和以前的演出比起来不少地方更精致了。
ZUN
だから僕は一人でできる限界までしか作らないんです。共同作業が嫌で会社を辞めたくらいで(笑)。
所以我只能做到一个人能做到的极限。毕竟我讨厌协同工作讨厌到辞职的程度(笑)。
龙骑士07
いやあ、それが正しいんじゃないかなあ。

ただ私はシナリオに専念して書きたいというのが明確にありますね。実はスクリプターって、うちらの業界ではそんなに強くないんですよ。絵と文章、音楽では、それぞれ有名シナリオライター、有名音楽家、有名絵師がいるんだけど、それを統合する名スクリプターってのはなかなか聞かない。

多くの場合は、単に一番シナリオを熟知しているという理由だけで、シナリオライターにその仕事が回ってくる。TYPE-MOONの奈須きのこさんなんかはテキストを書いている時から演出が頭の中にあって、打ちながらも演出指示を入れてると聞いたことがあります。
哎呀,这样说不定才是正确的。

不过对我来说有一点很明确,我希望自己能专注于剧本写作。事实上编剧在我们业界地位并没有那么高。插画、文章和音乐方面,各自存在有名的著名编剧、著名音乐家和著名画师,但统计一下就会发现几乎都没听说过什么知名脚本家。

多数情况下,仅仅因为最熟悉剧本这一理由,编剧就能做好自己的工作。听说TYPE-MOON的奈须蘑菇先生在写作时脑海里就有演出的概念,工作中就会加入演出指示。
ZUN
映画やアニメの場合と違って、ゲームの場合はそこに操作のタイミングを考えなくちゃいけない。操作のタイミングで音楽も変わって、このタイミングで破壊するとか。そのセンスは、みんな磨いてるところだと思います。
和电影与动画不一样,制作游戏时必须要考虑操作的时机。在操作的时间点上改换音乐,在这个时点破坏之类的。这种感觉是大家都在磨练的东西。
龙骑士07
そういう時間の伸縮に関わる表現って、実は漫画に近い方法論ですよね。
ノベルゲームなんかは、漫画と映画のやり方をそれぞれ採用した全く新しいジャンルなんですよ。どうしても漫画+映画だと思われていて、新しいメディアだと思われていないんだな。まだ市民権を得ていないですね。iPadみたいなメディアから市民権を得ていけるかもしれないけど。
关于时间伸缩的表现,实际上是类似于漫画的方法论。
所谓视觉小说,是将漫画与电影的做法分别采用的全新题材。但不管怎样都被认为只是漫画+电影,没有被当做一个全新的媒体。现在还没有人权,但说不定会因iPad这样的媒体而获得人权。
ZUN
どうなんですかね。市民権を得たらやりたくなくなると思う。僕はそういう感じなんですが(笑)。
究竟如何呢。我觉得如果真的获得了人权的话就会不想干了。我就是这种感觉(笑)。
龙骑士07
まあ、ある意味自分たちがはぐれ者だから面白がっているのかもしれないなあ。
也许,某种意义上正因为自己特立独行才更有意思。
変わってゆく「二次創作」と同人ゲーム文化の未来
转变中的「二次创作」与同人游戏文化的未来
──
ちょっと最初の話に戻ると、お二人の作品にとってキャラクターの表現というのは、あくまでゲームシステムやストーリーのためのインターフェースとしてあったわけですね。

ただ、それが機能や文脈を離れて自律して、二次創作を介したコミュニケーションへの欲望が増殖していくということが、ゼロ年代の色々な表現の中で起こっていたと思うですね。

で、特にお二人の作品は、二次創作の誘発力みたいなものが、きわめて抜きん出ているように思います。このあたりの理由については、ご自身はどうお考えですか?
先回到最开始的话题,对两位的作品来说,角色的表现,最终是为了游戏系统与故事而存在的接口。

但是,它离开了其功能与条理自主行动,社群对借助二次创作来交流的渴望逐渐增强,这是在2000年代的各种表现中发生的事情。

然后,尤其是两位的作品,正像二次创作的诱发力一样,在众多作品中鹤立鸡群。对于这一情况发生的理由,两位自己是怎么想的呢?
ZUN
僕は二次創作への利点なんて考えたことはなかったですよ。さっきも言ったとおり、後々自分が使いやすいように設定を作っただけで。
我从没有从利于二次创作这一点考虑过。就像刚刚说的那样,我只是在写在之后方便自己用的设定。
龙骑士07
自分が使いやすいということは、それはファンにとっても使いやすいということですから。ZUNさんは、自分で自分の二次創作を作っているわけですね。
方便自己用,这意味着对爱好者来说也容易使用。也就是说ZUN先生自己在创作自己的二次创作呢。
ZUN
僕は自分の作っているものが二次創作であると、いつも言っているんです。例えば神社とか神様を元ネタにするんですけど、あれを考えたのは僕じゃないですからね。そういうネタを使って作るわけですから、基本が二次創作なんですよ。そこに自分の作ったものをちょっと入れてあるだけで。あまり二次創作とオリジナルを分けて考えてないのかも。
我一直在强调,我自己创作的也是二次创作。比如说我以神社或者神明为原型,但他们并不是我原创的。我只是以其为原型进行创作,从根本上还是二次创作。单单是加入了一点我自己的东西而已。可能没法将二次创作与原型分开思考了。
龙骑士07
私もインターフェースは、常に二次創作的なものですね。私が作りたいのは誰も見たことがないようなものではなく、もっとプリミティブに、喜怒哀楽を共感できるものなんです。ただその手法については、常に斬新でありたいですけど。
我在表现上,同样一直是做着二次创作的事情。我想创作的并不是别人前所未见的东西,而是更朴素的,能够引起喜怒哀乐等情感的共鸣的东西。不过在手法上,我希望它能永远新鲜。
ZUN
その上に、ファンが何か構築するのはぜんぜん構わない。
在这之上,爱好者们想要构筑什么都完全没关系。
龙骑士07
構わないですね。私の作り出した場で遊んでもらうのは大歓迎。私の作った野球場で野球以外のことをするのも自由です。むしろそれこそが二次創作ですよね。
没关系的。我非常欢迎大家在我创造的天地里游玩。在我建设的棒球场里可以随意做打棒球之外的事情。不如说这才是二次创作。
ZUN
でも最初に作る時には場なんて考えないよね。結果としてそうなっているけど。
僕がこれだけは言っておきたいのは、さっきも言ったけど、そういう風に隙を作って二次創作しやすいようにしておけば今風だと勘違いしてるゲーム。今はそういうものがいっぱいありますけど、「もうやめとけ」と言いたい。使われ待ちのものなんて、絶対うまくいかないから。「キャラクターを作ればいい」という考え方も違うし。もうそれは上辺しかわかっていないです。そういうものを見る度に「あ~あ、またやっちゃってるなあ」と思う。
不过最一开始是不会考虑创造天地什么的。虽然结果上确实成了这样。
我唯一想说的——虽然刚刚也提过了,这种特意留白想让二次创作更容易的时兴游戏是走歪了路子。虽然这种游戏市面上有一大堆,但我还是想说「收手吧」。等着别人来用的东西,绝对做不好的。「创造角色就好了」这种想法也是错误的。这已经除了徒有其表什么都不是了。每次看到这种玩意我都会想「啊——他们又做了这种事」。
龙骑士07
二次創作の誘発なんて、狙ってできるものじゃないですからね。まあ現場の外側で楽しんで欲しかったという気持ちはものすごく強いので、二次創作もその内のひとつには含まれますけど。
刺激二次创作这种事情没法被当做目标。不过想要在现状之外玩乐的这份心情过于强烈,最后二次创作也会被包含在目标之中。
ZUN
目指してもいいんですよ。だけど目指すのであれば、ちゃんと勉強して本気で作らないと。『ひぐらし』や『うみねこ』だって、本気だったからこれだけ盛り上がってるわけですよね。
作为目标没什么问题。但当做目标了,就得好好努力认真去做。『寒蝉』和『海猫』,不正是因为是认真作品才如此兴旺吗。
龙骑士07
いやいや。狙い方がわかってたら実行してますよ。「本気なら狙えばいい」と言えるほど、私はわかっていないです(笑)。
没有没有。是因为了解了目标才付诸行动的。我的理解还没有深入到能说「是认真的那以其为目标也没关系」(笑)。
──
お二方の作品の二次創作がこれだけ隆盛していることに対しては、ご自身としてはどうご覧になっていますか?
同人ゲームの文化の現状のこれからの展望も含めて、うかがえればと思うのですが。
两位对自己作品的二次创作如此繁盛这一事实,自己是怎么看的呢?
还有同人游戏文化的现状与从今往后的展望,我也想请教两位对此的见解。
ZUN
すごく楽しいですね。今でこそ同人やニコニコ動画なんかである程度道筋ができて、なんとなく大きな流れが掴めますけど、増えていく過程は特にね。「こうなって欲しい」も「こうなって欲しくない」もなく、今に至ってます。
很开心啊。现在同人和NICONICO动画终于在一定程度上走上了正轨,总算是把握住了时代的潮流,但圈子扩张的过程是十分特殊的。既不是有人「想让它变成这样」也不是「不想让它变成这样」,就这样一直走到现在。
龙骑士07
ありがたいですよね。自分が作った世界観を、自分が描かなかった角度から見られるというのはすごく新鮮なことで。ある意味、創作者である自分がいちユーザーに戻れる瞬間なんです。だから私は二次創作の同人誌とかも大好きだし、キャラクターが一人歩きしてくれるのもすごく楽しい。
我非常感激。自己创作的世界观,从自己从未描述过的角度看过去是一件非常新鲜的事情。某种意义上,这正是身为创作者的自己回归消费者的一瞬。所以我最喜欢二次创作的同人志之类,能看到角色独立成长也非常开心。
ZUN
これは僕の考えですけど、キャラクターを膨らませる遊びが増えたんじゃなくて、ものを作ろうとする人そのものが増えたんじゃないかな。ものを作る時に完全なオリジナルを作るのは難しいから、あるものから作ると。二次創作と言っても、基本的には創作なわけです。みんな創作したいんだろうなと。
以下只是我个人的想法。并不是说角色的形象拓展开乐趣才增多了,而是因为创作者这个团体的人数增加了而获得了更多快乐。创作时想要从零开始做出完全原创的作品是非常困难的,所以就要从现有的东西开始。虽然叫做二次创作,但其根本也是创作。所有人都会想要创作吧。
龙骑士07
それはすごく同感ですね。今は色々なマシンのハードルが下がってきていて、昔はプログラムをちゃんと打てないと作れなかったけど、今は究極的にはケータイさえあれば何かを作れる時代になりつつある。ZUNさんがおっしゃる通り、ゼロから創作するのって非常にハードルが高いんですよ。
对这一点我深有同感。如今各种硬件上的困难在被逐渐抹去。现在的科技水平正在朝着只要有手机就能进行创作这一方向究极进化,但以前不好好地写程式就没法制作游戏了。正如ZUN先生所说,从零开始创作的难度非常的高。
ZUN
足りてない所を補完するようなのは、結構初めて創作するような人が多いんですよね。本当にものを作りたいという人が入ってくる。ベテランで色々なパロディをやってきた人よりは、初めてやるとか、やりたいと思っていた人が来ることが多いです。それはすごくいいことだと思います。
对不完整的地方进行补足,这是很多初次创作的人选择的方向。真的想要创造东西的人也会加入。比起做过各种改编的老手,第一次参与,与想要参与的创作者的数量更多。我认为这是非常好的事情。
龙骑士07
ZUNさんご自身は、オリジナルへのこだわりとかって、全然無いんでしょうか。もし使いやすいキャラクターがあったら、それでも良かったですか?
ZUN先生本人完全不拘泥于原创这一点吗?如果有用起来顺手的角色的话,也会使用吗?
ZUN
僕は細かく調べるのが面倒くさいので、自分で作った方が早い(笑)。それはキャラクターだけじゃなく、全部自分でやったほうが早いし、楽なんです。
あと、あまり他の作品に詳しくないということもありますね。シューティングバカというかゲームバカだったので、それしか知らない。他のものを作ろうとも、あまり思ってませんでした。
我觉得做各种细节上的调查非常麻烦,所以自己创作起来还要更快(笑)。这不仅仅是对角色而言,一切都由自己完成的话速度会更快,也会更轻松。
还有,我对其他作品并不十分了解。比起说弹幕笨蛋来说我更像是游戏笨蛋,除了游戏我什么都不知道。做其他东西这种事情,我几乎想都没想过。
龙骑士07
思えば同人ってずいぶん様変わりしましたよね。80年代の古いコミケの頃は原作原理主義的なところがあって、同人の二次創作はファン活動であり、崇拝行為であって、あまり変な曲解をしてはいけない空気がありました。
それが90年代からゼロ年代にかけて、キャラクターに自分のストーリーを乗せるのもOKになった。
想想同人发展至今真是大变样啊。80年代中的旧Comic Market时期还是原教旨主义的时代,同人的二次创作只是粉丝活动,是一种崇拜行为,圈内的氛围都是不能进行过多的曲解。
而在90年代到2000年代期间,让角色在自己创作的故事中出演这一行为也被认可了。
ZUN
80年代だったら「VOCALOID」なんて流行ってないですね。
80年代里「VOCALOID」这种的还没流行起来嘛。
龙骑士07
当時はストーリー性が大事でしたからね。ところが今はキャラクターを借りて自分のストーリーを乗せることによる創作の時代なので、キャラが生きていればみんな好きな話を作れちゃうんですよ。
だから未来はもっと一次創作が進むんじゃないかと思っているんですよ。
在当时故事性这种才是最重要的。现在是借用已有角色来创作自己的故事的时代,只要角色还活着大家都能写自己想创作的故事。
所以我在想,未来是不是会向原创更进一步呢?
ZUN
それを一次創作といって良いのかは疑問でけど。
虽然我质疑这究竟算不算原创。
龙骑士07
例えば幻想郷の話で言うと、昔なら幻想郷に出てくるキャラクターだけで二次創作を作ったと思うんですよ。それが今になると、幻想郷のキャラクター達を、ZUNさんも描いていない解釈で描く。同人界でテンプレ化している対人関係ってありますよね。そういったZUNさんの手を離れて創作が行われている。
だから私は、この次には幻想郷に勝手に自分のキャラを出す人が増え始めると思うんです。今はまだ幻想郷にオリジナルキャラクターなんか出したらバッシングを受けると思うけど。
以幻想乡为例子的话,以前不是只对在幻想乡中出现过的角色进行二次创作吗?到了现在,幻想乡中的各种角色,也出现了ZUN先生没有提到过的自我理解。连在同人界模式化的人际关系都出现了。这种脱离了ZUN先生掌控的创作还是现在进行时。
所以我认为,下一步就是擅自塞进原创角色的人数会开始增加了。虽然现在在幻想乡中加入原创角色大概会引来非议。
ZUN
結構最初の頃は居ましたよ。たぶんオリジナルキャラを出したい人は多いんだけど、大きくなると逆に出せなくなるみたい。東方が小さい頃は結構自由だったけど、大きくなるとやりにくい。
从最开始的时候就有不少喔。大概有不少人想要加入原创角色,但当体系越来越庞大的时候就反而不会想要加入了。当东方的体系还很小时还非常自由,但变大的时候就会越来越难做。
龙骑士07
そう。だからまだ受容できていないんですよ。それが10年代は許容されていくと思う。
是这样。所以是大家还没能接受。我觉得在10年代大家就能容许了。
ZUN
ラブクラフトみたいにね。勝手にみんな作っていって。
就像洛夫克拉夫特一样。大家都开始随便创作了。
龙骑士07
今の二次創作でさえ、10~20年前の二次創作と比べたら、遥かにオリジナリティが含まれているわけです。たぶんもう10年経ったら、二次創作というカテゴリーの中でもっと自由度の高いものがきっと生まれている。
现在的二次创作,与10~20年前的二次创作相比,原创要素大幅上升了。大概再过10年,在二次创作这一分类中会有自由度更高的东西诞生呢。
ZUN
どうだろうなあ。それは進んでいくと「じゃあ二次創作って何?」と、また帰ってきちゃいますよね。「オリジナルでいいじゃん、何でその作品を使わなきゃいけないの」ということになってくるじゃないですか。
说不准啊。再发展下去就会产生「所以二次创作是什么?」这种疑问,又会回到原点。「做原创不就好了吗。为什么非要用那个作品呢」,难道不是应该会变成这样吗?
──
ニコニコ動画の「東方」タグには「幻想入り」というタグがあるんですけど、あれは面白いですね。つまり幻想郷にモノが入っていくことなんですけど、それをいいことに自分が登場したりするようなことが、一般に行われています。『東方』ってそれが例外的にうまくいっているような気がしましすね。
NICONICO动画的「东方」标签里有「幻想入」这一标签,那个真的很有意思。总之有什么东西进入幻想乡,以此为借口让自己登场,这种事情也是司空见惯。例外的,感觉在『东方』里这种东西能很好地融入。
ZUN
僕がそういうことをしてますから。僕が毎回ネタ的に「忘れ去られているだろう」というモノを入れているんです。そういう設定になっているので、新作を出す時も時事ネタを入れるんです。「今だからこれが面白い」という。その考え方自体を二次創作の人もやっているだけですね。だから僕は、ずっと「自分が作っているものは二次創作だ」と言っているんですよ。自然からの二次創作もあれば、『東方』に対する二次創作でもあるんですよ。
因为我在做的正是这种事。我每次在题材上都会选用「已经被忘却了」的东西。因为有这种设定,在出新作的时候也会加入时事题材。所谓的「因为是现在所以这个才好玩」。不过是二次创作者们自己也遵循着这种思路。所以我一直在强调「我所做的是二次创作」。有取材于自然的二次创作,自然也会有对『东方』的二次创作了。
──
人々をそうした二次創作的なコミュニケーションに駆り立てるような欲望の正体って、何だと思いますか?
例えば従来の「創作」をしたい人は、世の中に対して何らかのメッセージを持っているということになってますよね。
两位认为人们像这样追逐二次创作交流的欲望的真身究竟是什么呢?
比如说过去想要「创作」的人,总会有想要传达给全世界的信息这样。
ZUN
メッセージ性ですか。そんなにみんな考えて作っているわけじゃないと思いますよ。強いて言えばメッセージがあるとしたら「自分はここにいますよ」的な、自己中心的なメッセージでしょうね。
信息性吗?我觉得大家不是都抱着这种想法进行创作的。一定要说的话,想要传递的信息就是「我就在这里」这种,自我中心的信息。
龙骑士07
みんなが作るのはコミュニケーションを取りたいからじゃないですか。誰も見てくれないブログを更新し続ける人はそういないと思います。

やっぱりカウンターがあるから楽しい。少なくとも何かの二次創作を作ったら、その大元の作品を知っているファンという意味で、ゼロから創作しているよりは見てもらえる確率が高い。それで人にたくさん見てもらえるようになってから自分の創作をすればいいじゃないですか。

人間ってそこまで孤独に耐えられる生き物じゃないので、ひとりでものを作って楽しいという人はそうそういないと思いますよ。私も誰かに見てもらえると思っているから作っているわけですし。もしもある日、ドラえもんの道具かなんかで私の知名度がパチッとゼロに戻っても同じモチベーションでものを作れるかと言ったら、それは違うでしょうね。
难道不是因为大家想要进行交流才开始创作的吗?我觉得不会有人持续更新一个没人来看的博客。到底还是有反馈才开心。

至少进行二次创作的话,在知道其根源的作品的粉丝的这一层上,比从零开始创作有更高的几率能进入他人视线。所以让自己的创作变成能让许多人看到的样子不就好了吗?

人类不是能忍耐极端孤独的生物,所以我觉得没有多少人能在孤独埋头做作品的同时还觉得很快乐。就连我也是一边想着要让人看到一边进行创作的。如果有一天,哆啦A梦的道具把我的知名度啪嚓一下变回零,还要我以同一种动机来创作的话,那肯定是不可能的。
ZUN
うーん、そういうコミュニケーションとして活動する人もいますけど、そうではないところで作っている人もいますよ。そこで分かれるんじゃないですかね。そういう人はそういう人で、今の人は今の人で集まって。そうやって細分化されると、もう「同人」という言葉では括れないかもしれない。

可能性というよりは、むしろ僕ならそういう道を選ぶっていう。そういう感覚はちょっと前からあるんです。

同人ソフトを作っている人の中でも、みんな考え方が違うんですよ。それぞれが別のコミュニティに繋がっていて「この人たちが集まったらこういうことをやるだろう」ということが、なんとなく想像つくんです。
嗯——虽然也有以这种交流为中心开展活动的人,但也有不是这样的人。在这种地方就会出现分歧。这种人和现在的人,分别聚集起来。这样细分下去,可能都要超出「同人」这个词的涵盖范围了。

比起所谓可能性,不如说如果是我的话就一定会选择这条路。这种感觉我在稍早的一段时间就有了。

就算都是做同人游戏的作者,大家的想法也各不相同。大家各自与不同的社群联系在一起,「既然是和这些人聚集到一起,那就做这种东西吧」。这种事情,我不自觉地就想象出来了。
龙骑士07
同じゲームでも、同人界とフリーゲーム界で違いますよね。
同样是游戏,同人游戏界与免费游戏界也是不一样的。
ZUN
プロを目指す人もいれば、同人だからいいという人もいる。そうではく二次創作だからいいって人もいる。同じにする必要はないですよね。言い方を変えて別のコミュニティを作ればいい。あとは誰が動くか、それだけです。
有以职业制作人为目标的人,就会有觉得正因为是同人才好的人。自然也有不这么想,觉得正因为是二次创作才好的人。没有必要统一想法。换个说法创造另一个社群就好了。之后就只是谁来活动这一个问题了。
龙骑士07
難しいですね。やっぱり未来のことは想像がつかない。じゃあ、せっかくZUNさんが「未来はどんどん広くなる」とビッグバンの話をしたから、ビッグクランチの話をしましょう。
私が思うに、コミケは本来は若い業界だったはずだけど、今やもう若くない人がたくさんいますよね。これから入ってくる10代がいる一方で、我々よりずっと年上の創作者がいる。そうするとコミケは、未熟なものからプロ顔負けのものまで、今以上に多層化するじゃないかと。すると例えば壁際サークルの同人歴30年の大作と、経験が1~2年のサークルの習作が比べられて、若い方が萎縮しちゃうなんてことになりかねない。
真是艰涩。果然未来的事情还是无法预测。那既然难得ZUN先生说了「未来会越发宽广」这种大爆炸性的发言,那我就来说点大收缩性的话题吧。
在我看来,Comic Market本来应该是属于年轻人的业界,现在却已经有了不少已经不年轻的人。有即将加入的十几岁的年轻人,也有比我们的年纪还要大的创作者。这样下去,Comic Market上就会涵盖从青涩作到让专业人士相形见绌的作品,比现在更进一步多层化。然后打个比方,壁摊社团同人历第30年的大作,与经验仅有1~2年的社团的习作被放在一起对比,年轻的社团会不会就这样萎缩了呢?
ZUN
それはちょっと前まで実際そうだったんですよ。でもここ数年、同人ソフトを作る人が増えたね。しょっぱいものでも出す人が。それはいいことだと思うんです。
这在之前还是非常实际的话题。但就在这数年间,创作同人游戏的人数开始上涨了。就算是拿不出手的东西也会发表。我觉得这是好事。
龙骑士07
だから僕が絵が下手でも絵を描いているのは、「こんなに下手な人でも同人を作っていいんだよ」というのを実践してるんです(笑)。ほら、よくオフィシャルの絵は下手糞なくらいが丁度いいとかいうじゃないですか。まあ、それは最終的にそうだったというだけであって、わざわざ絵描きを下手にしろという意味ではないと思いますけど。
所以我虽然非常不擅长画画但也继续画,就是想要实践「像我这样笨拙的人都在做同人,没关系的」这一点(笑)。你看,我不是经常被说官方画技烂的程度刚刚好吗?不过,虽然结果上是成了这样,但我觉得并不是让我特地去画得很烂的意思。
ZUN
みんな後からそういうことを言うけどさ、そんなシンプルな話じゃないよね。それは楽な考えで、そんな甘いものじゃないです。ただ僕はそういう風にいわれることも許容しなければならないと思ってます。僕は「バカにされる覚悟」と言っているんだけど、色々なところに隙があるんだから、バカにされて当然なんです。その覚悟があって作れる人間は、これからも新しく入ってくるんじゃないですかね。
完璧なものを求めちゃうと、本当に少し叩かれただけでダメになっちゃう。絵は記号なんです。そのキャラクターを最低限表現していればいい。絵を完璧なものにするのがプロのイラストレーターで、ゲームとか漫画だったら、それが充分に表現できていればそれでいいんです。
大家之后都会这么说,但这件事并不简单。不是这种轻松的考量,也不是这么天真的事情。只是我觉得,就算被这么说了也只有接受而已。虽然说我有「被嘲笑的觉悟」,但是因为自己有各种各样的缺陷,所以被嘲笑也是当然的事情。抱有这种觉悟进行创作的人类,从今往后也会不断加入吧。
如果一味追求完美的话,真的只需要一点点打击就会不行了。图画就是记号。只要能最低限度地表现出这个角色就好了。让图画完美无缺是专业画师要做的事情,游戏和漫画之类的,只要能充分地表现出来就好了。
──
最後にまとめとして、同人ゲームが築いた現在のコミュニケーション優勢のシーンの中で「ゲーム」の可能性はどこにあるのかという点について、お考えをお聞かせください。
最后作为总结,在同人游戏构筑起的现在的交流优势的场景中,「游戏」的可能性在哪里,对这一点我想请教两位的意见。
龙骑士07
ゲームはドラッグじゃないんですよ。注入すれば誰でも楽しくなるんじゃない。楽しもう、咀嚼しようという受け手の精神なんですよね。ボールを投げてもらうだけじゃ、楽しくない。受け取ったボールを投げ返してコミュニケーションを成立させるから楽しいんじゃないですか。
だから多くの人は忘れているんだ。特にゲームというものは片方がお金を出すものだから、「お金を払ったからには楽しませてもらおう」というお客様精神だと、実はゲームは楽しめない。受け手に「楽しもう」という能動的な姿勢がない限り、「ゲーム」は成立しない。どんなにメディアが進歩しても、それだけは変わらないと思うんですよね。そういう姿勢を、商用ゲームよりも強く持てることが、同人ゲームの良さだと思いますし。
游戏可不是毒品。不是说注射后谁都能获得快乐。享受与咀嚼,这种收信人的精神非常重要。只是被单方面投球是没有意思的。将接下的球丢回去,让交流成立才是快乐的来源。不少人都忘记了这一点。
特别是游戏上,因为单方面花钱买了下来,就抱着「我付了钱,所以该让我尽情享受」这种顾客精神,事实上是没法享受游戏的。玩家如果没有保持「享受」这一能动的态度,「游戏」将会不成立。无论媒体如何进步,只有这一点不会改变。比起商业游戏,同人游戏更能保持这一态度,我认为这就是同人游戏的优点。
ZUN
5年くらい前までは、僕も「ゲーム性」とは何ぞやみたいなことをすごく考えてたクチだったんですけど、今はそうでもない(笑)。ゲームひとつでも楽しいのは当然なんだけど、実は「楽しい」ということ自体はゲームの中にはないとわかったので。「楽しい」という時点で、それは外なんですよね。

「楽しい」という話を共有することが楽しいわけで、場合によっては超クソゲーを共有しても楽しいですよ(笑)。それはゲームの内容がどうでもよくなる瞬間でもあって。もちろん、そこまで作り手がコントロールできるわけじゃないと思うんですけどね。

ただ、そこまで含めて、今はゲームというものが大きな意味で立ち上がっていて、コミュニケーション全体に影響してるんでしょうね。そのことは、ポジティブに受け止めていいんじゃないでしょうか。
直到大概5年以前,我还在拼命思考「游戏性」究竟是个什么玩意,现在不会了(笑)。因为我理解了,只要有游戏就能开心是当然的事情,但实际上「快乐」这件事情本身是不存在于游戏里的。感到「开心」的这一时间点,就已经是在游戏外了。

共享「快乐」这一话题,这件事就是快乐的,所以根据情况不同也会出现就算交流超烂作游戏也会很开心的情况(笑)。这就是游戏的内容变得无所谓的瞬间。当然,并不是说制作者就无法进行控制了。

但是,包括上述的部分在内,现在的游戏在更大的意义上站了起来,影响着所有人的交流。这种事情,当做是积极的发展来接受不也挺好吗?
〈了〉
〈完〉